裸のフクシマ

裸のフクシマ

2021年7月24日

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「裸のフクシマ 原発30Km県内で暮らす」 たくき よしみつ 講談社

「ねうちもん京都」が京都に住んでる人の本なら、こっちはフクシマに住んでる人の本だ。どっちも、住んでる人じゃないとわからないことが書いてある。京都はほんのり、ふんわりするが、こっちは、唖然、愕然とする。外からやってきて、数日滞在して、取材して、リポートして帰っていく人とは全く違う視点から、フクシマを語っている。私たちは、やっぱり何も知らないんだなあ、と思い知らされる。

知ってどうなる、という人もいるだろう。そういうあんたは一体何をしているんだよ、こんな本を読んで、僅かな寄付でもして、そんな程度で良い人ぶっているだけじゃないか、という人もいるだろう。

だけど、私は言おうと思う。それでも、知らないよりは、知ったほうがいい。その場所で何が起き、どんな思いで人が暮らしているのか。そこに、何があり、何がないのか。多くの人が知ることが、いつか何かの力になる。明日ではなく、もっとずっとずっと先のいつかだとしても、誰も知らないよりは、ひとりでも多くの人が知ることに、きっと意味はある。

たくき氏は、震災後、ごく早い段階で原発の危険性を察知し、一時的に川崎に避難している。しかし、それは、彼がもともと原発について知識を持ち、また、ネットなどで素早く情報を手に入れることができたからだ。原発30Km県内に住むほとんどの普通の住民は、全く何も知らずに普通に暮らしていた。ご近所に、彼は情報を伝えて回ったし説明し、説得をした。、その時々で、必要な物資を届けるため、何度も戻っていった。また、現地の人々と情報を共有し、現場について種々リポートもしてきた。

マスメディアや政府の発表などを待たず、そうやって情報を交換し、判断し、周囲に知らせ、説得し、行動した人たちがあちこちにいた。最も賢く正しかったのは、彼らだったのだ、と私は思う。原発は安全だと訳知り顔で説く御用学者なんぞに騙されずに行動した彼らを、私達は知らなかった。だから、知りたい、と私は思う。そうやって、静かに自分の戦いをしていた、今も戦っている人たちを、私は知りたいと思う。

彼の住んでいた川内村は、風向きのおかげか、奇跡的に線量が低い。にもかかわらず、一律の同心円状に避難対比を余儀なくされたお陰で、たくさんの被害者が出た。安静にしているお年寄りは、被曝による危険性よりは、避難のため動かされることによる危険性のほうが、ずっとずっと高いのだ。実際に、彼の周りでも、多くのお年寄りが、避難の途上でお亡くなりになっていった。ずっとむらに残っていたら、今も幸せに生きていらしただろうに。

震災が起きてから、強制的に避難させられるまで、そして、茶番劇のような一時帰宅の演出が行われた経緯などが、克明にこの本には書かれている。そして、驚く。マスメディアは、一体何を伝えていたのだろう。現場で日々を生きている人たちが、どんな暮らしをしているか、私たちは、何も知らない。

この本に載っている、被災時に小6だった小学生の書いた「抗議文」に、私は頬を叩かれた思いがする。私たちは、子どもたちに、なんという事をしてしまったのだろう。どうやって、これを償えるというのだろう。

原発も、その後の復興も、除染も、みんな利権が絡んでくる。全部、お金だ、政治だ、経済だ。私たちは、そんなにお金に支配されて生きている。本当に大事なものは何なのか、まだ気がつけていない。

目を背けずに、知る努力をしようと思う。知りたい、と思う。私にできることは少なく、そして私はとても怠け者で、力もなく、だらしない人間だけれど。でも、知りたい、と思い続けようと思う。

2012/4/3