福島飯舘村の四季

2021年7月24日

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「福島飯舘村の四季」烏賀陽弘道 双葉社

 

未読購入本消化キャンペーンも残り僅か。積み上がっていた本も、あと一冊というところまで来ました。この本はずいぶん前に夫が購入して読んだ本。本の山の下に埋もれたまま時がたちました。
 
読んでみると、あの原発の事故のことが自分の中で風化していたことがわかります。まだまだ続いている事実を、私は当たり前の日常の中で忘れつつあった。そのことに、愕然とします。福島では汚染水が駄々漏れになったままだというのに、危機はまだ目の前にあるというのに。
 
この本は、記者である著者が、無人になった飯舘村の花や草木、山、動物たちを写真にとった記録が中心となっています。
 
 空は青く、山をうぐいす色の新緑が染めていました。涼やかな風が吹いていました。
 原発事故も全村避難も無視するかのように、自然はいつも通りの営みを続けていました。
 なんてきれいな村だろう。私は息をするのも忘れそうでした。
 
著者は記事を書く記者であり、写真は素人だそうです。だとしても、この村を写した写真は、全てが胸にせまる美しさにあふれています。
 
村を避難した人に、お土産代わりにと写真を渡したら、ぷつりと黙りこまれてしまい、しまった、と思ったそうです。子どもを亡くした母親に子供の写真を見せるようなものだった、と著者は書いていました。
 
私たちの国は、美しい土地、美しい風景、美しい水にあふれていたはずです。きれいな風が吹いていたはずです。そんな場所が、見た目は美しいままに、恐ろしい放射線量の中にあります。私たちは、そのことを決して忘れてはならない。その問題から、目を背けてはならないのだと改めて思います。
 
長いけれど、これだけは引用しておきたいと思います。この事実を、忘れないためにも。
 
落ちてくる雨や雪には高濃度のヨウ素やセシウムが含まれていました。何も知らない村人たちは、雨や雪に濡れるのもかまわず、避難者の車の交通整理をしたり、食料や毛布を運んだり、炊き出しをしたりしていました。積もった雪で遊ぶ子どもたちもいました。
「村内で毎時20マイクロシーベルトを超える放射線量が検出されたらしい」
 数日後、そんな噂がささやかれ始めます。しかしなお、公式の知らせはありません。
 最終的に村人が「被曝」を知るのは20日夜でした。村の上水道水源から、基準を超えるヨウ素が検出されたのです。(中略)
 3月末にIAEA(国際原子力機関)の調査団が来ました。そして村人に避難するよう勧告したのです。それでも、原子力安全保安院は「避難が必要なデータは見つからなかった」と記者会見で言い続けました。村人の希望が打ち砕かれたのは、4月22日でした。国が「全村避難」を決定したのです。「6000人全員村から出ろ」「別の場所に住め」と言うのです。
 ちょうどサクラが咲くころでした。満開の花の下、村人たちは故郷を去って行きました。夏には、村人はいなくなりました。空き巣防止の見回りや、動物に餌をやりに戻る人をのぞいて、村は無人になったのです。
 夏が来て、秋が来ました。雪が積もりました。それでも誰も戻りませんでした。自然だけがいつもと変わらぬ営みを続けました。雪が溶け、二度目の春が来ても同じでした。
 それは日本の「ふるさと」の原型のような、日本の懐に抱かれた山里の風景でした。
 ひとつだけ注釈を付けねばなりません。「村全体が目に見えない放射性物質で汚染されている」という点です。
 
        (引用は「福島飯舘村の四季」烏賀陽弘道 より)
 
どうか機会があったら、この本を手にとって、美しい飯舘村の景色を見てください。そして、私たちの国に、何が起きたか、今もなお起き続けているかを、忘れないでください。
 

2013/9/8