いつも彼らはどこかに

いつも彼らはどこかに

2021年7月24日

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「いつも彼らはどこかに」小川洋子 新潮社

 

夫が先に読み終えたので、どうだった?と尋ねると、うーん、小川洋子はいつもよく分かんない、と答えた。わからないのか、そっか、と思いながら読んだら、なるほど、よくわからなかった。
 
分からなかった、というよりも、不思議だ、というべきなのか。こんな人、どこにいるんだ?と思うような人が登場する短編ばかりがいくつもおさめられている。いつも彼らはどこかにいるのか。そうかもしれない、とも同時に思う。人はひとりひとり違っていて、思いもよらないような世界を持っていて、思いもよらないような役割を担っていたりするものだ。
 
広場の中央にある「オリンピックまであと◯◯日」といいう日めくりカレンダーの数字を1つずつ減らしていく仕事をしている人が登場する「ハモニカ兎」。その街にはオリンピックのための競技場が建設されるのだが、誰もそれがどういう競技なのかを知らない。人々の不安を解消すべく、役場が説明書を作成し、配布したのだが、それはむしろ逆効果だった。
 
『本競技は球技でありながら、ボールを一定の場所へ運んだり、定められた範囲でそれを打ち合ったりするスポーツではありません。得点を示すのはボールではなく、選手の動きです』(中略)
『しかし決してボールが無関係というわけではありません。選手の動きを決定するのはボールの行方なのです』(中略)
『試合が終了するのは、時間によってでも得点によってでもありません。両チーム27個ずつのアウトを取らない限り、試合は終わりません』『投手は投手板に触れている間ピッチャーであり触れていない間は野手です』『もし乱闘になった場合は参加して騒ぎを鎮めなければなりません』 
 読めば読むほど混乱は深まるばかりだった。それどころか恐ろしくさえなってきた。長い棒を持った選手のイラストは決闘を挑む乱暴者のようであったし、中にはお面に甲冑姿の者もいた。(中略)犠牲、盗み、牽制、重殺、ノックアウト、死。ページのあちこちに、とてもスポーツのルールとは思えない言葉があふれていた。
                   
                  (引用は「いつも彼らはどこかに」より)
 
物語の中では、野球までもが不思議なものに形を変えてしまう。本当はありふれた、どこにでもあるふつうのもの、ふつうの人なのかもしれない。いつもどこかにいるその人が、こんな不思議な人なのかもしれない。
 
小川洋子の世界は、よくわからなくて、不思議で、それが心地よい。

2015/12/14