ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン

ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン

2021年7月24日

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「ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン」 大鹿靖明 講談社

原発事故に関するルポは何冊も読んだが、この本が、読んでいて一番腹がたった。その時、誰がどこにいて、何をしたかが、綿密な取材によって、克明に明らかにされている。

その時、東電の会長は、中国にいた。社長は、奈良で観光をしていた。トップがふたりとも、不在だったのだ。社長がそこから東京に戻るため、どんなにあわてふためいてあらゆる策をとったのかが、書かれている。しかし、そんなことはまだ、どうでもいい。

私が驚いたのは、この国の原子力のトップたちの、とんでもない体たらくである。

 官邸に集まった学者や行政マン、東電スタッフら原子力の専門家たちは何をたずねられても、確信を持って責任のある回答ができなかった。菅が質問すると、本来専門家である保安院の幹部職員は互いに目配せしてもじもじする。不審に思った菅が保安院の寺坂昭院長に「あなた、原子力の専門家なの?」とたずねたら、「いいえ、違います」という返事だった。寺坂は経産省キャリアの事務官で、この時、たまたま院長に就いていたにすぎない。東大経済学部を卒業して入省し、直近はスーパーなど流通業界を所管する商務流通審議官だった。この国の原子力行政のトップはそんな有様だった。
その中で唯一といっていいくらい、確信を持って回答された言葉が、斑目の「心配はいりません、爆発はしません」だった。

その頃、私は、原発は安定している、大丈夫だ、という報道を聞かされながら、不安に怯えていた。ネットでは、ただ、ガスが溜まっただけで、専門家がきっと何とかしてくれる、などというお気楽な説明が注目を集めていた。私はその時、ネット上の日記に不安を表明し、それに対して、「原発は安全だ」と強い調子での批判も浴びた。しかし、官邸内では、専門家が、何も答えられず、何もできず、ただ、もじもじしていたのだ!そんな人達が、この国の原子力を動かしていたのだ・・・・。

寺田が隣室の総理執務室に入ると、首相は福山官房副長官と原子力安全委員会の斑目委員長と打ち合わせ中だった。1号機で白煙が上がっているという情報が入っていたため、菅が斑目に質問し、斑目が「揮発性のものでしょう」と答えていた。
寺田が駆け込んだのは、ちょうどそんなときだった。「総理、原発が爆発しました」と言って、ひったくるようにリモコンを奪って画面を切り替えて差し出した。
衝撃的な映像が何度もリピートされる。菅は絶句している。広報担当の下村健一内閣審議官が斑目に問いただすように聞いた。「斑目さん、今のはなんですか?爆発が起きているじゃないですか」
そのとき斑目は、福山の記憶によれば、(その後頻繁に見せるようになるのだが)「アチャー」という顔をした。両手で頭を覆って、「うわーっ」とうめいた。頭を抱えたまま、そのままの姿勢でしばらく動かない。福山が「これはチェルノブイリ並みの事故ですか」と聞いても返事がない。
一部始終を目撃した下村にとって、生涯忘れることのできないような衝撃的なシーンだった。これが日本の原子力の最高の専門家なのかーそう彼は思った。

東電は、プラント維持に必要な最低限の要因は残してそれ以外の人員を原発から退避させることを政府に伝えようとする。しかし、清水社長はそれを「全面撤退」として伝えてしまう。そこから、菅が、全面撤退はありえない、と東電に怒鳴り込みに行くことになる。

撤退をくじかれた東電とは対照的にいの一番で逃げ出したのが、経産省原子力安全・保安院の現地事務所である福島保安検査官事務所だった。(中略)
14日に3号機が爆発すると、彼らは泡を食った。このままいると、自分たちにも危険が及ぶと考え、再びオフサイトセンターに逃げることにしたのだ。それなのに、退避先に選んだオフサイトセンターも安全とは言い切れなかった。総務省は二年前の09年の行政評価・監査で福島オフサイトセンターには高性能のエアフィルターがなく、万が一の被曝量の低減措置が講じられていないと改善を求めていたが、保安院は軽視して取り付けていなかったのだ。3号機爆発後、線量が上昇する。
菅が東電の撤退を食い止めた翌15日、横田一磨所長を筆頭に保安検査官全員が福島県庁に非難することを決めた。監督官庁の彼らは吉田たち70人とは正反対の行動をとった。原子力安全委員会はこの日、保安院本院を経由してオフサイトセンターに「半径20キロ以内の避難範囲の入院患者には避難時に安定ヨウ素剤を投与するよう」指示するファクスを送ったが、福島県庁への移転作業に気を取られた現地の検査官たちは誰一人としてファクスに気が付かなかった。そして60キロ以上は離れた福島県庁に彼らは逃げた。

つまり、原子力の専門家のほとんどは、何一つ質問に答えられず、有効な安全策も取れずに、自分たちの身の安全だけを図っていたのだ。そんな人達に、私たちは、原子力を任せていたのだ。

この本は、その後の東電と経産省の動きについても、克明に記述している。それは、驚くべき事実に満ちている。読んでいて、私は腹立たしく、情けなく、悲しかった。

つくづくと私は思う。福島で起こったことを、私たちは忘れずに検証し続けなければならない。事故が起こった時、専門家たちは何をしたのか。そんな専門家たちが、今、どんなことを言って、原発を再稼働させようとしているのか。彼らの言葉は、ほんとうに信じられるのか。

この本に書かれていることが、本当なのかどうか、確かめるためにも、どうか多くの人に読んで欲しいと思う。とても腹立たしく、情けなく、悲しくなる本ではあるけれど。

(引用はすべて「メルトダウン」大鹿靖明 より)

2012/5/26