福島原発メルトダウン

福島原発メルトダウン

2021年7月24日

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「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」 広瀬隆 朝日新書

少し前に夫が読んで、薦められたのだが、読むのが怖くてしばらく置いておいた。「大津波と原発」を読んで、やっぱりこれも読まねば、と心を決めて読んだ本だ。

今回の原発事故は、「想定外」の地震と津波によるものだ、という説明がされているが、実際には、その危険性は、相当以前から、何人もの専門家が指摘し続けてきた、という事実が明らかにされている。福島原発が対策を講じてきた津波の高さは、たったの5.5mでしかなかった。ここ100年だけでも、30mを越える津波が三回は記録されている。「想定外」とは、故意に想定しなかった、というだけの話だ。

原発は、冷却しなければ、メルトダウンの危機に陥る。冷却水を送るポンプが故障したら、大事である。というのに、福島原発のポンプは、全て海に面して設置されていた。そして、津波によって、電気系統は全て駄目になった。

私は、パソコンで原稿を書くが、パソコンが故障しても、直せない。東京電力と原発の関係もこれと同じである、と広瀬氏は書いている。電力会社は原発の複雑な設計については全くプロとは程遠く、テレビに出てきた原子力関係の専門家と称する学者たちも、実際の原子炉の細部の設計については素人に過ぎないのだ。学者はエンジニアではない。だから、事故が起きたら、原発メーカーの設計者に解決を頼むべきだという。しかし、東電は、メーカーに相談しなかったばかりか、支援の申し出を逆に断ったという。

福島第一原発の一号機から五号機まではマークⅠ型と呼ばれる原子炉だが、これを設計した元GEのエンジニア、デイル・ブライデンボー氏自身が、この炉の危険性を告発している。冷却システムがぎりぎりの容量で計算されているので、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると爆発を起こす危険性がある、と訴えたという。東電が、製造コストが高くなることを渋ったのがその理由だそうだ。設計上、マークⅠ野格納容器は約四気圧の圧力までしか耐えられないのに、八気圧まで上がってしまったため、東電はベントを行ったが、結果として、水素爆発は起こってしまった。

ところで、二十年以上も前から、原発の安全性を説くために、東電や推進派の人たちは、原発によって出る使用済み燃料の問題について、安全だといい続けてきたのではなかったのか。私の記憶に間違いがなければ、ガラス化して、頑丈な岩盤の中に埋める、と説明がされていたと思うのだが。また、プルサーマルによって、使用済み核燃料のリサイクルが可能である、などという説明も、受けていたと思う。

今回の事故が起こって、驚いたことのひとつは、使用済み核燃料プールの水素爆発だ。使用済み核燃料が、そんなところに保管されていたとは、全く知らなかった。六ヶ所村に再処理工場があることは知っていたが、それがどうなっているかも、私は考えたことがなかった。本当に、原発の怖さを忘れ去っていた自分を恥ずかしく思う。この本によれば、六ヶ所村の再処理工場は技術的に未熟で、運転してはストップ、運転してはストップを続け、現在では試運転さえできない状態だという。そして、全国の原発では、使用済み燃料を六ヶ所に運ぶことさえできず、ただひたすら原発敷地内にたまり続けているのだ。

ガラス化して、埋めるんじゃなかったの?と私は考えて、気づく。安全に埋められる場所なんて、どこにある?と。そんな危険なものを、埋めてもいいよ、と快く言う人間が、どこにいる?と。出たゴミの置き場所を考えずに、ゴミを作り続けていたのだ、我々は。水力発電が、砂がたまってダムが使えなくなってしまうことを計算に入れずに作られたように。人間って、学習しない生物だったのか。

放射能と被爆の問題についても、この本では多くのページを使って書かれている。基本は、25年ほど昔に出された「危険な話」と同じことが書かれているのだが、体内被曝の問題は、改めて恐ろしいと思う。放射線量の問題ではないのだ。体内に、ごく僅かの量の放射線物質が取り込まれたとしても、人はそこから、放射線を受け続ける。放射線は、距離の二乗に反比例する。原発から遠く離れたとしても、体内に放射物質があれば、人間は限りなく近いところから、放射線を受け続けるのだ。だから、レントゲンのときの放射線量や、自然界の放射線量といくら比較しても、体内被曝に関しては、ほぼ意味はない。

以前、私はこのブログで「漂流するトルコ」という本を紹紹介した。そこには、黒海沿岸部での、若い人たちの白血病罹患率の異常な高さについても書かれていた。作者の大事な若い友人も、フィールドワークの途中で白血病に倒れ、亡くなっている。町のあちこちで、白血病で子どもを失ったという話を聞いたという。それは、チェルノブイリの事故から、十年ほどたったころの出来事だったはずだ。(そして、その話を、私はこの本を紹介するときに、書くことができなかった。)確かにチェルノブイリ周辺では、事故以後のがん発生率などの調査が行われているだろう。けれど、遠く離れたトルコで何が起こっているか、誰か専門家が調べたことがあるのだろうか。こうやって、気づかれずに、被害は起きていく。遠い昔に行われた核実験の結果、私たちの世代のがん発生率がじわじわと上がっているのかもしれない、とも、私は思う。原因不明のがん患者は、確かに増え続けているのだから。

海に流された高濃度汚染水は、薄まることはあっても、なくなることはない。そして、それは海産物の体内に取り込まれる。ごく初期の段階で、海でセシウムが検出されたとき、テレビで「専門家」が「魚の体に入ったとしても、いずれ尿となって排出されますから、心配要りませんよ」といっているのを聞いたとき、私は思わず笑ってしまった。私たちは、水俣病に、何を学んだのか。数十年以上前に、有吉佐和子が「複合汚染」という本を書いたのを、忘れたのか。食物連鎖のサイクルの中で、放射性物質は、濃縮される。

広瀬氏はあまりに大きくなってしまった放射能汚染に対して、どうしたらいいか、彼なりの考えを示している。それは、何より、本当のことをまず明らかにすることから始まるものだが。

私自身は?と読みながら、考えた。私は、もうこの年なので、多少汚染されていても、水も飲もう、食べ物も食べよう、と思う。私の年では、若い人と比較すれば、それほど大きな影響はない。それに、私は、悲しませたくないから、両親よりは長く生きたいが、子どもたちさえ育ってしまえば、もう、そんなに長生きしなくてもいい、と思う。これからは、私たちは、長生きを望むことはできないのだろう、と率直に考えて思うのだ。

ただ、私の大事な子どもたち、未来を担う若い人たちには、どうにか安全で幸せな将来を、と願わずにはいられない。だから、どうか、子どもたちの安全を、みんな、真剣に考えて欲しい。少しでも、安全であることを、目指してほしい。けれど、何がもっとも安全なのか、どうすれば大丈夫なのか、絶対にこれが正しい、といえる人は、もう、どこにもいないのだろう、とも同時に思っている。それぞれが、それぞれに自分のできることをする。それしか、私たちに残された道はない、と私は思っている。

たぶん、原子力発電は、人間の手に余るテクノロジーなのだろう。排出されるゴミを、どこにも捨てることができないのなら、最初から、ゴミを作ってはいけなかったのだ。

引用は「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」広瀬隆 朝日新書 より

2011/6/6