原子力発電の政治経済学

原子力発電の政治経済学

2021年7月24日

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「原子力発電の政治経済学」伊東光晴 岩波書店

伊東光晴氏は、八十代後半というご高齢である。が、この本を読む限り、脳細胞は若々しく、聡明で鋭い分析をなさっている。読んでいて、なんとなく既視感があったのだが、思い出してみれば、「世界 2011年8月号」に掲載された論文の趣旨がここに更に詳しく書かれていることに気がついた。

2011年から、私たちはいったい何をやってきたのだろう。先日の選挙で原子力発電を争点とした党はほぼ一党だけであった。それでいいのか。私たちは、喉元すぎれば熱さを忘れたまま生活していって、本当にいいのだろうか。

本書は、原発をめぐる法制度を見直し、何が原発を推進していったのか、歴史を振り返り、原発の発電コストが本当は決して安くはないことを指摘し、原発事故の損害賠償責任という観点から制度を見直す。原発推進科学者が何をしてきたかを検証し、今後の公益字義業のあり方をも含めて、今度の電力エネルギーの展望を探る。分析は明晰で説得力に富み、原発を続けることがいかに愚かであるかが自明となる。こんなにわかりやすいのに、なぜ、皆、原発にしがみつくのか。誰かこの本に明確に反論できる人間はいるのだろうか。

原発事故ですっかり有名になった東大の斑目教授は、驚いたことに2008年「外交フォーラム」で「もう原子力工学はやめる」と6年前に決断したと書いているという。どんどん進んでいる研究を途中でやめる人はいない。原子力発電の技術は、もはやこれ以上興味深い発展はなく、重大な欠点を乗り越えることができない。だからこそ、科学者としていきがいがない研究対象なのである。2008年時点で、6年前にその研究を断念したはずの彼が、原子力安全委員会の顔であった、という事実に愕然としてしまう。

ウラン資源のリサイクルを目指した「もんじゅ」はまともに動くことがない。燃料の再処理はウランを直接使うよりもはるかに高コストである。高速増殖炉を当初計画した国は、米、仏、英、独、伊。旧ソ連、そして日本だが、日本とロシア以外の国は全て頓挫、放棄に至っている。日本も事実上頓挫しているというのに、この計画がまだ進行しているというのはどういうことなのだろうか。

伊東光晴氏は、トリウム発電、シェールガス、バイオマスエネルギー、地熱発電、宇宙太陽光発電などに将来のエネルギーの希望を託している。原発に注ぎ込んでいる予算をこういったものの研究に回してほしいと私も切に願う。

また、たとえば実際に東京スカイツリーで実用化されているという地中熱利用などが一般化すれば電力利用が三割は軽減されるという。原発以外にも、道はたくさんある。そのことを、忘れないでいたい。

どんな論理も、原発推進を正当化することはできない。この本を読んでさらに私は確信した。政治家は、もっとこの問題に真正面から取り組むべきではないだろうか。

2014/12/22