「断絶」のアメリカ、その境界線に住む

「断絶」のアメリカ、その境界線に住む

145 大島隆 朝日新聞出版

筆者は朝日新聞のワシントン特派員。2020年、コロナ禍でオフィスが閉鎖され、政府機関も建物内に入れないような状態に陥った。自宅待機が続くのであれば、この機会に地方の現場を拠点にしてみたいと彼は考えた。ペンシルバニア州は大統領選挙の勝敗を左右する激戦州のひとつである。週の南端のヨークに住めば、ワシントンの取材にも車で一時間半。というわけで、2020年八月に、彼はヨークに住み始めた。

車社会のアメリカには、独特の都市事情がある。1950年代以降、白人の中・高所得者層がより良い住環境を求めて郊外に出ていくホワイトフライト(白人の脱出)が起きた。買い物も郊外の大型店に行くようになり、市の中心部の商店街はにぎわいを失った。逆に市街地の中でもマイノリティを中心とした低所得者層が多く住む地域はインナーシティーと呼ばれる。ヨークは、市内の多くの地域がインナーシティである。インナーシティの端の道、境界線を渡るとそこには全く違うたたずまいの町が広がる。緑が豊かで庭付きの一軒家が並ぶ高級住宅街と、まったく緑がない、林家と壁や屋根がつながったタウンハウスばかりが並ぶインナーシティ。その境界線付近、インナーシティにしては治安の良い場所に、彼は一年七か月住んだ。

三階建てのタウンハウスは4LDKで、共用のスペースと、三人の住人の部屋がある。家主は郊外に住む白人女性でトランプ支持者。住人の一人はBML(ブラック・ライブズ・マター・・・黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える組織)支持の黒人青年、もう一人はトランプ支持のヒスパニック移民、そして日本人の新聞記者。この奇妙な組み合わせこそがある意味、境界上のこの家にふさわしいものだった。

BML支持の青年は「ヨークはセグリゲート(分離、隔離)された町だ」と筆者に言う。アメリカでは南北戦争以後も、黒人と白人が同じ施設を使うことを禁じたり、結婚を禁じたりという法律があった。それらが廃止された今も、居住地域などをめぐる差別は様々な形で残り、近年、都市における高所得層と低所得層の住居地が別れる傾向はさらに加速している。ヨークは、群全体としては緩やかに経済が豊かになりつつあるのに、市内は逆に貧しくなり、市内都市外での貧富の差が拡大している。そして、郊外の住人は市内に一歩も足を踏み入れず、市内の住人も郊外にはいかない。ごく近所に住みながら、互いに相手を見ようともしない、まったく別の国のようになっている。

ずいぶん前だが、「ヤバい社会学」という本を読んだ。シカゴ大学の大学院生が書いた本である。シカゴ大学の近くには、高層団地があって、そこはシカゴでいちばん貧しい界隈であり、圧倒的に黒人が多かった。大学当局は、大学警備員が巡回している区域の外を歩いてはいけないと強く指導していた。大学の社会学の授業は、貧困層の問題を取り上げ、論議していたが、この最も近くにある貧困層の住居地域内部に入り込み、実態を調査したことは一度もなかったという。そこで、その中に入って直接調査したのが「ヤバい社会学」の筆者であった。その高層団地では、犯罪が起きて警察を呼んでも来ることはなく、けが人が出て救急車を呼んでもいつまでも来ることはない。そこは、ギャングの支配する別の法体制の社会であり、違う国ですらあった。

それを読んだのは2017年のことであったが、2022年、コロナ禍にあって、ヨークもまた、そういう構造の町になりつつあった。ただ、シカゴほどに明確な別の国ではなく、市長が、何とか現状を打破しようとインナーシティの住人の起業を助けるシステムを作ったりはしている。そんな中での大統領選挙は、驚くほど投票率が低かった。市民は、自分たちが社会に含まれていないという疎外感をもっている。それは、有色人種や移民だけでなく、低所得白人層も同じで、トランプ支持者の多くは、疎外されているがゆえにトランプの政策に引き付けられている要素も多分にあった。投票放棄も、トランプ支持も、同じ疎外感の結果であったのだ。

アメリカという国は、断絶の連続の場所である。高所得層、高学歴層と貧困層、低学歴層は、互いに全く別の場所に住み、互いを知る機会もなく、分かり合うことも無い。そして、どちらもが相手に不満を持ち続けて歩み寄ることもできない。そんな現実を嫌というほど見せられたのがこの本である。

そして、日本もだんだんそういう国になっていくのではないか、と不安である。安易なポピュリズムにあおられて、おかしな方向ヘ走りだそうとする傾向が、様々な場所で散見されている。それが増えていくと大変なことになるぞ、そうでなくても、もう酷いことになっているのに・・・と暗澹たる思いで、この本を読み終えた私である。

人間はいつになったら賢くなれるのだろう。