ヤバい社会学

ヤバい社会学

2021年7月24日

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「ヤバい社会学」スディール・ヴェンカデッシュ 東洋経済新聞社

かつて読んだ「私のように黒い夜」を思い出した。あれは、1959年の話で、あれからアメリカはずいぶん変わったのかもしれないが、差別は相変わらずに続いていて、むしろ面倒なことになっているのかもしれない。どんな政策が取られ、どんな制度が生まれたとしても、人の心は簡単には変わらないし、心が変わらなければ、結局は何も変わらないのだと思い知らされた気がする。

作者はアメリカの中流家庭に育った南アジア系の移民の子である。彼は、シカゴ大学の大学院に入って、大学警備員が巡回している区域の外を歩いてはいけないと強く指導された。大学の近くには、高層団地があって、そこはシカゴでいちばん貧しい界隈であり、圧倒的に黒人が多かった。シカゴ住宅局が、南部から流れ込んでくる貧しい黒人たちをみんなそこに送り込んでいた。殆どの住人は失業中で、生活保護を受けており、麻薬と暴力が蔓延していた。作者はそんな団地の中に入り込み、ギャングのリーダーのひとりと親しくなり、長期に渡って貧困層の生活実態を目の当たりにする。

彼以前は、社会学は貧困層の問題を取り上げ、論議しながらも、内部に入り込み、実態を調査したことが一度もなかった。・・・ということ自体が私には驚きだったが、その実態には更に驚いた。黒人たちのひしめくその高層団地は、ギャングの支配する別の法体制の社会であり、違う国ですらあった。犯罪が起きて警察を呼んでも来ることはなく、けが人が出て救急車を呼んでもいつまでも来ることはない。つまり、シカゴ市の公務員たちも、そこは手を差し伸べるべき場所ではないと当たり前のように認識しているのだった。

揉め事が起きれば、それをさばくのはギャングであり、罰を与えるのも、助けるのもギャングである。仕事・・麻薬を売ったり、売春をしたりするには、ギャングへの税金が必要だし、それによって保護もされる。麻薬の販売は完全に統制され、営業活動は管理されていた。時に、貧困を脱しようと勉学に励み、奨学金を得て大学まで進み、就職したとしても、自分よりできの悪い白人が昇進していくのを見守るより他はない。そんな生活に嫌気が差した頃に、ギャングが勧誘に来る。俺達の組織の管理側に回れば、みんなの尊敬を得る立場に立ち、高収入を得ながら多くの部下を動かすことが出来る。そうすれば家族も養える、人望も集められる、人から蔑まれることもないんだぜ・・・。

作者と親しくなったギャングのリーダーは確かに優れた人物ではあったが、一方で残虐でもあり、自分勝手でもあり、傲慢でもあった。が、それは「こちら側」の価値観で見る限りにおいて、であり、「そちら側」ではそれが当たり前のことでもあった。

また、ギャングとは別に、住民自治組織において尊敬を集め、人びとを統制する女性リーダーもいた。彼女は選挙によって選出され、殴られる女性を助け、子どもたちを守る存在ではあったが、その一方でギャングとも手を結び、麻薬の密売や売春にも結果的に手を貸していたし、また、その権力を使って私腹を肥やしたり、報復を行ったりもしていた。呼んでも来ないはずの警察官の一部とも手を結び、必要な場合に助けを得ることもあったが、その警察官たちも、犯罪に手を染め、私腹を肥やし、私刑を行ったりもしていた。

つまるところ、無法地帯があって、そこに人が集まれば、賢いものたちが知恵を絞って上に立ち、支配し、権力となり、そしてそれはいつかどこからか腐敗していく、という普遍的な真理がここにもあった。人はきっと太古の昔からずっと同じようなことを繰り返してきたのだろう、と読めば読むほどに、私は思った。

それにしても、アメリカの闇は深い。何が自由の国だ、と思う。でも、日本にも本当は似たような状況は確かにあって、被差別部落や在日外国人などの差別される側の人達が、暴力や薬の力を借りて、人よりも上に立てる、蔑まれなくても住む環境を求めて暴力団のような組織をつくっていたりもする、と思い出した。

アメリカが銃統制をできない理由がわかる。日本は、それはかろうじてできてはいるのだがなあ。人が人を差別することは、永遠になくならないのだろうか。結局のところ、それがある限り、人類は本当には幸せにはなれないのではないか。社会学も、人類学も、歴史学も、心理学も、生物学も、化学も、みんな、なんて無力なのだろう。

2017/11/6