あの日、僕は旅に出た

あの日、僕は旅に出た

2021年7月24日

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 「あの日、僕は旅に出た」蔵前仁一 幻冬舎

 

「旅行人」を初めて読んだのはいつだっただろうか。大好きなグレゴリ青山や宮田珠己を初めて知ったのはこの雑誌だ。「旅行人」はバックパッカーのための情報が詰まった雑誌だった。読者数の少なさと、応募するマメさのある人間の率から考えて、読者プレゼントのはがきを出すだけで当たる、と計算したら本当に当たってしまったので笑ってしまった。
 
私たち夫婦がバックパックを担いで旅をしたことがあるのは、イギリス国内だけだ。雑誌「旅行人」を必要とするようなハードな旅の経験はない。けれど、ずいぶん長いこと私たちはこの雑誌を購読し続けた。旅のためではなく、この雑誌を読むことが楽しかったのだ。そんな雑誌を作っていたのが、この蔵前仁一氏である。
 
上の子を妊娠中、私は酷暑の臨月に耐えかねて、「地球の歩き方 アフリカ編」を読みふけった。アフリカだと思えば暑くない、と自分を騙したのだ。畜生、いつか本当にアフリカに行ってやる、とその時私は思っていた。
 
未就園児の育児にがんじがらめになっている時期には沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ。一人でふらふらと海外を旅する生活に焦がれる思いだった。「旅行人」に出会ったのは、その直後くらいだったかもしれない。
 
私は、毎日幼児を公園に連れて行き、砂場の側で子どもを見ていた。夫は仕事が忙しく、夜遅かった。子供がいて、夫がいて、生活できる場所とお金があって、何の不足もない、けれど息詰まる日々だった。自分がどんどんダメになっていくような気がしていた。
 
そんな時、私はバックパッカーたちが世界中を旅して歩く本を読みあさった。世界のどこに行っても人がいて、それぞれに当たり前に生活をしている。世界は広い。いろんな人がいる。ここの当たり前は、そこの当たり前ではないけれど、みんな当たり前みたいな顔をして、いろんな物を食べ、いろんな言葉をしゃべっている。それを見せてもらうだけで、心が清々とした。
 
思えば、どれだけ私は彼らに助けられたかわからない。彼らとは、蔵前さんをはじめとする「旅行人」に出てくるような旅をする人たちだ。グレゴリ青山も、宮田珠己も、高野秀行も、それから椎名誠や野田知佑もそうだった。家に居ながらにして、私は世界中を旅することができた。自分のいる日本という場所だけが全てではないと感じられた。
 
蔵前氏はこんなことを書いている。
 
インドへ行く前、僕はフリーのイラストレーターとして懸命に働き、いつかは世間に認められることを願っていた。自分なりに強い上昇志向もあった。有名になれば、あの和田誠さんのように一流雑誌の表紙を自分の絵で飾ることだってできるかもしれない。
 それがインドへ行って、憑き物が落ちたように、有名になって大きな仕事をしたいという意識がきれいさっぱりなくなった。世間に求められようが認められまいが、そんなことはもうどうでもいい。(中略)
 この世界をリアリティを持って感じられることが、僕にとって切実な欲求だった。僕は中国大陸の東側に浮かぶ島国の一員に過ぎない。一歩、外へ足を踏み出すと、僕の知らない世界が果てしなく広がっている。それを見ずして、どうやって人生を過ごせというのか。有名になどならなくてもけっこう。世界を見たい。リアルに感じたい。それだけが僕の願いだった。
(引用は「あの日、僕は旅に出た」蔵前仁一より)
 
蔵前氏は、旅をきっかけに、人に評価され社会に認められることよりも、自分がいま生きているという実感や喜びを感じることのほうがずっと大事だと気がついたのだ。
 
私は、自分が社会に認められたり、社会の一員として目に見える何らかの仕事をしていないことに悶々としていた。けれど、あるとき不意に楽になったのだ。何の役にも立たず、目に見える功績も成し遂げていないただの貧乏旅行者である彼らが、どんなにいきいきと世界を旅しているか、生を実感しているか。それが、本人にとってはどんなに価値ある日々であるか。たくさんの旅の話を読みながら、私はそれに気がついてしまったのだ。
 
旅すらもしない、人の旅話を読むだけのいわば陸サーファー的な私がそんなことを言う資格はないのかもしれない。だけど、生きる価値というのは、人に評価されることや功績をあげることだけではなく、いかに自分が納得し、いきいきと日々を楽しむかにあるのではないかと思わずにはいられなかった。そう思えるだけのきらめきが、気ままで貧乏なバックパッカーたちにはあったのだ。
 
旅の細かい情報や、詳しすぎるほど詳しい旅の地図が「旅行人」には載っていた。けれど、だんだんにネットが発達していった。月刊誌ではフォローできない情報が、ネットであっという間に手に入る時代がやってきた。その一方で、蔵前氏は自分たちも旅をしたかった。雑誌を出していると、旅ができない。そのジレンマから、発行の間隔が大きく空いたこともあった。雑誌の内容もだんだんに変貌していった。そして、ついに「旅行人」は終わった。寂しかったけれど、「旅行人」は役目を終えたのかもしれない。
 
この本は「旅行人」が終わるまでの蔵前氏の半生記である。わりと初期の頃からこの雑誌を読んでいた私たちにとっては、なんとも懐かしい内容が多かった。ついこの間のコトのように思えるのに、いつの間にか年は過ぎてしまったのだなあ、としみじみしてしまった。
 
蔵前さん、雑誌「旅行人」を、たくさんの旅のライターを私に与えてくれてありがとう。あなたの仕事のおかげで、きっと私の人生のある部分はとても幸せなものになった。自分から長い旅に出ることはなかったけれど、紙の上で、私はたくさん旅ができた。アフリカにも、本当には行かなかったけれど、蔵前さんや他のたくさんの旅人たちの本を読んで、何度も旅したみたいな気持ちになれた。感謝しています。
 

2013/8/25