あるげつようびのあさ

あるげつようびのあさ

2021年7月24日

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「あるげつようびのあさ」ユリ・シュルヴィッツ 徳間書店

アメリカ、ニューヨークの町らしい。

あるげつようびのあさ、おうさまと、じょおうさまと、おうじさまが、ぼくをたずねてきた。でもぼくはるすだった。

で、王子様はそんなら火曜日にこよう、といって、火曜日は騎士も加わって訪ねてきたけれど、やっぱり留守で、水曜日は衛兵も一緒に来たのに留守で・・・とどんどんメンバーが増えてくる。日曜日に大勢が来ると僕はいて

おうじさまはいった。「みんなでちょっとよってみただけさ」

          (引用は「あるげつようびのあさ」より)

最初は小さな丸い景色の絵で、それがちょっとずつ大きくなっていって、室内のようすから、全ページ街の風景に広がる。一気に引き着込まれる良い導入だ。

絵が美しい。うらさびしい僕のようすと、明るく不思議な人達のコントラスト。階段にあふれるおうさまたち。最後に雨が上がって陽があたっているようすも、いい。

先日、とある図書館で徳間書店児童書局局長の講演を聞いた。「あるげつようびのあさ」は、彼女がごく初期の頃に編集した絵本だ。それほど裕福でもない子どもが、おそらく両親とも働いていて、一人でお使いをしたり洗濯にも行かなくてはならなくて、遊ぶ時も友達もいなくて孤独そうに見える。けれど、手元にあるトランプのカードや人形たちからはこんなに豊かな世界が広がっているのかもしれない。そんなふうに思いながら、この絵本を選んだのだそうだ。

翻訳をしているのは谷川俊太郎。お嬢さんがソーホーに暮らしている頃に訳されたらしく、あとがきでこの街の話を楽しそうに書いていらっしゃる。洗濯の料金や近くの地下鉄の路線について、絵をよく見ればみんな描いていある、と説明されている。「WASH30¢」をたとえば「水洗い30セント」と訳して絵の中に書き込んでしまえば済むことなのかもしれない。けれど、そういうあとがきを書くことで、絵本を何度も楽しむ余白を残されたのかもしれない、と思う。

児童書局長は、私の古い友人でもある。絵本や児童書を、どんなに心をこめ、気配りをして子どもたちの手元へ送り届けてくれているのかが、その話を聞いて改めてわかる。良い仕事をしてくれる人たちのおかげで、私たちは素晴らしい本に巡りあえている。

2016/2/22