インド鉄道紀行

インド鉄道紀行

2021年7月24日

「インド鉄道紀行」  宮脇俊三

宮脇俊三さんは、鉄ちゃんの元祖みたいな人。「時刻表二万キロ」と言う国鉄前線完乗をテーマにしたエッセイで日本ノンフィクション大賞を受賞した。もう亡くなったけど。惜しい人でした。本業は編集者で、かの北杜夫氏を世に出したのは、この方だったとか。うーん、そっちも、すごいぞ。

うちの息子は、小さいときすごい鉄ちゃんだったのに、小学校入学と同時期に、けろりと治ってしまった。それはそれで、ちょっとつまんない。ろくに廻らぬ舌で、あらゆる鉄道の名前を暗証して見せる彼は、かわいかった・・・。

まあ、それはそれとして。私は結構、鉄のケはあるらしく、北斗星やトワイライトエクスプレスで北海道まで行ってみたい、なんて考える。夫は、どんだけ退屈か想像してごらんよ、とうんざり顔になるので、たぶん、実現しないと思うけど。

宮脇さんは、鉄の塊なので、インドに行くにも、興味は鉄道に向かって、びくともしない。他にも心を動かされるものは、山ほどあるはずなのに、基本はやっぱり鉄道で、それ以外は、どうしても風景であり、外の出来事になりがち。いや、その方が、いっそ、潔くていい。

インドの鉄道は、ゲージ〈線路の幅)が多岐に渡り、そのせいで、鉄道を貫徹するのが難しい。乗客は、歩いて移動してくれるけれど、貨物は動かさなければならないので、物流にひどく支障をきたしている。いずれ、統一しようと言う方針はあるが、「インドは急がない」ので、方針は方針のまま、いつまでも統一されない。だからこそ、鉄道好きにはたまらない、異種ゲージの混在する場面などに良く出くわすことが出来るのだけれど。

切符の買い方も、実に不明瞭で、ボール紙になにやら書き付けたものを手に入れるのに、長時間かかり、その後、乗客名簿が発表になって、初めて、乗れることが判明、その時点で、キャンセル待ちであっても、乗ってしまえばどうにかなる場合もあり、たかが切符ひとつとっても複雑怪奇で、何がどうなっているのか良くわからない。何ヶ月も前から手配していても、当日にならないと、乗れるかどうかは確実じゃないのだ。

この混沌、曖昧、大雑把。それでいて、実に理屈っぽい、インド人。いったい、どうするつもりなの、と、これを読んでいても疑問が次々わいてくる。鉄道ひとつとっても、矛盾だらけじゃないの。合理的にパシッと決めたら、ずいぶん、インド、わかりやすいだろうに、なぜ、やらない。それが、文化なんだろうけれど。

スラムが延々と線路沿いに続く描写、バクシーシを求める地を這う少年など、胸に痛い場面もあるが、あくまでも鉄道がメイン。食べ物も、二の次。観光なんて、時間つぶしだけ。いや、こう徹底すると、すばらしい。

スケジュールの都合で、狭軌鉄道に乗れなかったのが心残りで、翌年に、そのためだけに、もう一度インドを訪れている作者。いいなあ、こういう人。

生きる基準が、鉄道と言う焦点に定まってしまっているのね。そうして、一生を過ごして、宮脇さんは、幸せな人だったのだろう。

2009/5/22