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「大阪的『おもろいおばはん』は、こうしてつくられた」
津村記久子 江弘毅 ミシマ社
大好きな津村記久子と編集者である江弘毅との大阪に関するエッセイ、対談が載せられている。いやあ、面白かった。
転勤族の我が家は関西在住経験が二回、合計で十年くらいになる。東京生まれの全国あっちこっち育ちの私は、関西の水が案外合って、居心地がいいなあと住むたびに思う。大阪は津村記久子が言うようにまさしく「化粧の濃いおばちゃん」である。そして、おばちゃんというのはだいたい善意にあふれていて親切で、でもちょっとしつこくもある。そのしつこさも味のうち、と思える程度によそ者として短期間ずつ住んでいた我々である。
大阪弁の会話は高度である。「何か関西弁しゃべってよ」「なんでやねん!」という会話が既に突っ込みになっているんだが、東京の人はわからへんねんな、という津村記久子の指摘は鋭い。事例としてあげられているこの会話はまた、ものすごい。
友人A/おめでとう。めっちゃきれいやったでー。
友人B/ありがとう、そんなんいうてもらえて嬉しいわあ。先週整形しといてよかったわぁ。
友人A/いやほんまに美人花嫁やったでぇ。整形間に合ってよかったなあ。
これはもう上級者の会話だ。関東で同じことを言ったら大問題になる。この会話を互いに楽しみ、互いの相手のツッコミとボケを引き合い、お主、なかなかやるなあ、という関係性に持っていくのが大阪である。そして、私は大阪のこういうところが大好きだ。
娘は関西に行ってしまった。東京はつまらない、オチがないんだもの、と彼女はいう。多感な時期を関西の高度な会話の戦場で過ごした彼女にとって、穏やかな東京の標準語の世界は緩やかすぎたのかもしれない。わからんでもない。
(引用は「大阪的」津村記久子 江弘毅 より)
2017/5/10