銀河鉄道の父

銀河鉄道の父

2021年7月24日

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「銀河鉄道の父」門井慶喜 講談社

 

直木賞受賞作品だって。そんなことはつゆ知らず、ただ夫が先に読んで「身につまされるよなあ」と言うので、読んでみた。
 
身につまされる、というのは恥ずかしながら、遠方の大学に行った我が家の子どもたちである。大学院まで行きたい、修士から博士にまで上がりたい、学費を出してくれ、という息子の要請がまるで賢治のようだった、という話、あるいは、普段は全然近況報告も寄越さないというのに、お金が足りなくなると急に足りない、足りない、と嘆き節だけをよこす娘の話が、賢治に重なってくる。金というのは湧いて出るもんではないんだぞ、勉強したいと言えばいくらでも出してもらえると思うな、という親側の気持ちを、そりゃ本人たちはわかってると言うだろうけれど、本当にわかって言っているとはやっぱり出資者側には思えない部分がある。いいのかそれで、大丈夫なのか、とどうしても思う。思うけれど、やっぱり必要なだけは出してやりたいのが親心でもある。結果、彼らはそれなりに頑張っている、ということもちゃんとわかってはいるんだが、こっちの苦労ももう少しわかれよな、と思う。
 
この本の主人公である、宮沢賢治の父は、質屋を営むことでお金を稼いでいる。賢治は農民から金をむしり取る質屋という稼業を嫌悪しながら、本を買うから金をくれ、東京に行くから金をくれ、と平気で無心をする浪費家である。それ、農民からむしり取った金だぜ、とは父は言わず、ただただ、わかった、と出してやる。賢治が病気になれば、徹夜で看病してやる。それで自分が体を壊しても文句も言わない。宮沢賢治という人は、立派であったと世間では言われているが、この父親のほうがよほど立派ではないか、と思う。
 
「イーハトーヴォの劇列車」という、賢治の生涯を描いた井上ひさしの戯曲があって、それを私は30年以上前に見た。その時に、賢治はヘタレだ、と思った。というか、子供時代に宮沢賢治を読んだときから、じつは、「こいつ、ヘタレじゃねえか」と思ったという心の汚い子供であった。もちろん、彼の作品の美しさはわかるけど、でも、好きじゃないのもたくさんある。自己犠牲の物語とか、あんまり読みたくない。劇評を書いている友人が、たまたま最近同じ芝居を見て、「でくのぼうとしての宮沢賢治」という表現をしているのを見て、そうだよねえ、と心から共感した。賢治は、ただの美しい詩人ではない。ヘタレであり、ダメなやつでもある。だからこそ、時に彼の物語は美しい。
 
子を思う母の物語はたくさんあるが、父の側からのこういう物語は少ないような気がする。賢治の父に、胸打たれた私である。親の思いは、一方通行であることが多い。が、自分もその一方通行をすげなくスルーした当事者でもあり、子どもたちもまた、同じことを繰り返してくのだから、文句は言わねえよ、と思うばかりである。

2019/2/11