生きて帰ってきた男 

生きて帰ってきた男 

2021年7月24日

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「生きて帰ってきた男ーある日本兵の戦争と戦後」

 

小熊英二 岩波新書

 

 

小熊英二が、シベリア抑留者である父の軌跡をたどったオーラルヒストリーである。1925年生まれの小熊謙二に、2013年5月から12月にかけて戦前、戦中、戦後について聞き取りをおこなったそうだ。
 
ごく普通の、取り立てて財産も学歴もない庶民の一人である謙二氏が、徴兵され、戦火を浴び、シベリアに抑留され、苦労の果てに帰国し、肺病を克服して結婚、子どもを育て上げ、老後も自分なりに社会と関わり合いながら生きている。それだけの物語が、読むうちに力強く立ち上がり、様々なことを伝えていることに気がつく。これは、一つの重要な歴史の証言である。
 
普通に生きていた人間がいきなり戦争に借り出されること、戦争の現実、そしてシベリアで何が起きていたのかということ。夢に見たはずの帰国も、現実の一つの出来事に過ぎず、日々を過ごすこと、生活することはいつも同じように過ぎていく。淡々と語られる歴史は、どんなドラマよりもリアルだ。
 
ともに戦い、シベリアに送られ、助け合った仲間が、朝鮮籍だったというだけで政府の慰労金を受け取れないことに心を傷めた彼は、そんなものいらないと思いつつも、その仲間のために慰労金の給付を受け、半額を彼に送った。全額贈るのでは相手の気持ちも苦しかろうし、分け合うということで繋がり合いたかったという。それがきっかけで、彼はシベリア抑留者の戦後補償裁判の共同原告にもなっていく。彼の証言した「意見陳述書」の内容がそのままこの本に収められているが、それは胸を打たれずにはおられぬ誠実さにあふれた素晴らしいものであった。
 
この裁判は請求棄却の判決に終わってしまったが、担当弁護士は謙二について「国に良心なくとも、無意識に、国の不義に代わって、この国とこの国の国民にも良心があることを示してくれた」と記しているという。
 
個人史を書き残す人間は、学歴や文筆力などに恵まれた階層であるか、本人に強烈な思い入れがあるタイプが多い。前者は一部の階層からの視点になるし、後者は客観性に欠ける傾向がある。父はそのどちらでもない、そして実際に、彼自身は、自身の経験についてはほとんど何も書き残していなかった。  
                    (引用は「生きて帰ってきた男」より)
 
歴史は、書を残すものの視点から作られる場合が多い。が、本当は、歴史というものは、このような、ごく普通のまじめに一生懸命生きてきた人一人一人の積み重ねでできている。こうした記録を残すことこそに意味がある、と私は思う。戦争中の様々な辛い、苦しい、あるいは忌まわしい記憶を失う前に、少しでも生きた歴史を書き残すべきではないか。記憶する人がいなくなるに連れ、戦争を忌避する人間も減っていく。そして、証人が減るとともに歴史は捻じ曲げられていく。だからこそ、少しでも多くの言葉を聞き残したい。
 
 さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったのかを聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばんたいせつだと思ったか、という問いである。
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
そう謙二は答えた。
                    (引用は「生きて帰ってきた男」より)
 
 

2015/9/8