ファティマ 辻公園のアルジェリア女たち

ファティマ 辻公園のアルジェリア女たち

2023年11月18日

173 レイラ・セバール 水声社

パリ郊外の団地で暮らすアルジェリア移民女性たちが辻公園に集まってはおしゃべりに興じる。のんきな井戸端会議…というよりは、ひどく切実な場でもある。フランス語もほぼ解さない、文字もろくに読み書きできない、女性が一人で外を出歩くこともままならないようなイスラム文化の女性たちは、公園でのおしゃべりの中で、家族、セクシュアリティ、ジェンダー、宗教の問題を語り合う。それをそばで聞いていた少女ダリラは成長して、ある日黙って家を出る。

追い詰められて逃げ場のない状況。それは、たとえば今のガザやウクライナがそうであるように、実は移民のムスリム女性たちも同じなのだと思う。女性は男性に支配され、暴力にさらされる。若い娘がスカートをはいて外を歩いていたというだけで、父親にベルトで血まみれになるまで打ち据えられる。母親はフランス語が分からず、母国の文化風習の中でしか生きていない。父親は一日仕事で忙しく、家では不機嫌で家族を思いやる余裕もない。そして、子供だけがどんどん生まれる。避妊もしないから。

家に縛り付けられ、赤ん坊が次々生まれ、夜泣き声がうるさいと夫に怒られ、赤ん坊を構っていると小さな子供がおもらしをする。母親は思い余ってその子を虐待し、病院に運ばれるまでになる。保護司が彼女の力になろうと家に来るが、彼女はフランス語が分からない。ただ、叱られる、責められるとだけ思うので、家の中をきれいに片付け、幸せであるかのようにふるまう。だが、子どもは虐待されていることが明らかなので、病院に保護されたまま家には戻されない。そして、田舎に住むフランス人が里親となって預けられる。

保護司にばれたら、子どもが奪われる。それしか解釈できない移民の女性たち。夫は多少フランス語が分かっても、それを妻にうまく説明できない。結果、社会的な援助や保護も、彼女たちには届かない。

息子たちは、だんだん家に寄り付かなくなり、不良となり、暴力沙汰やレイプに走っていく。娘たちは家に縛り付けられ、強制結婚させられたりもする。結婚式の後、皆が待つ中で初夜が行われ、処女の証しの血の付いたハンカチが皆の前に投げられると、花嫁と花婿の名誉は守られるのだ・・・。

文化風習の違う国で移民が生きることの苦しさ、つらさ。けれど、それを選んで生きるしかない状況。好意をもって手を差し伸べても、それが無意味になっていく現実。でも、その中で、自分らしく生きようともがく人たちがいる。これは、フランスやアルジェリアだけの話ではない。日本にも同じような物語は絶対にある。そして、もしかしたら日本人同士の中ですら、異文化に育った者同士が共に暮らそうと決意した時に、同じような小さな行き違いや無理解は生まれている。

どんな人間にも同じだけの尊厳があること。感情があり、思いがあり、願いがあること。もしかしたら、その人は自分だったかもしれない、と考えること。違う文化風習があるということ。相手を分かろうと思うこと、自分を分かってもらおうとすること。そんな小さな努力の積み重ねなしに、人は平和に幸せに暮らしていくことはできない。もっと当たり前に、互いを思いやることが、分かり合うことができたのなら。

というようなことを、祈るように思わずにはいられなかった。これは、私たち一人一人の物語でもある。