京博深掘りさんぽ

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174 グレゴリ青山 小学館

三月以来のグレゴリ青山。この人の作品は、我が家では出たら即買いなのだけれど、今回は夫が買ってないのでどうしたかと思ったら、WEB連載中にほぼ読んでしまったからなのだそうで。連載を読んでいなかった私はあわてて買ったのでありました。文庫なので旅のお供に最適。実は昨日まで、また八日間の旅に出ていた。その話は、またそのうち書くので、よかったらお読みください。

この本は、世界がコロナ禍にあったころ、グレゴリ青山が京都国立博物館の依頼を受けて、その隅々までを見学してレポートしたものだ。単に展示品だけでなく、文化財を収集、保存、修理する人々の日々の働きそのものも詳しく描かれている。まさしく「深掘り」である。

私がはじめて京都国立博物館に行ったのは、大学二年生の時であった。女の子なら文学部でしょ、という周囲のすすめが気に食わないばっかりに肩ひじ張って法学部に入ってみたものの、法律というものに今一つ興味が持てず、ぼんやりと一年を過ごしてしまった。そこで、まずは好きな歴史分野から、と二年生では「日本法制史」のゼミを取った。実際、律令制下の戸籍制度などを調べると結構深く面白いところがあって、そのおかげで何とか法学部に踏みとどまれたようなものだ。そんなゼミの合宿で訪れたのが京博であった。当時は、林立する仏像の中で、ただただ呆然とそのお顔を見回すばかりの何もわかってない若者でしかなかったのだが、なんだかすごく面白いところだ、という印象だけは残っていた。以来、行ったことはないんじゃないかな。一度、入り口までは行ったけれど、休館日ですごすご帰ったことがあるのは覚えている。

グレゴリ青山は、博物館を見学しながら、何度もタイプスリップをする。展示品の作られた当時に意識が飛んで、その時代の人と話をするのだ。方広寺大仏殿の門柱跡で、豊臣秀頼に会って「ええかアンタ方広寺の鐘にいらんこと書いたらアカンで」「家康にイチャモンつけられてえらいことになるし!」とゆさゆさ揺さぶって「だ、だからおぬし誰?」と怖がられたりする。

うーん、わかるよ、わかる。博物館や史跡の醍醐味は、そこにある。今、現代の自分でありながら、遠い昔に生きていた人たちと直接交流するような、彼らと話ができてしまうような感覚。それがあるから、私たちは博物館に行き、史跡を訪ねるのだ。みんな同じように生きていた、みんな似たようなことを考え、日々生活していた。それが肌身で感じられるからこそ面白いのだ。

博物館は、展示品だけでできているのではない。それを支える大勢の知恵と努力と情熱によって成り立っている。ということが、楽しく、わかりやすく描かれた作品である。これを読むと、京都国立博物館に行きたくなるよ。博物館の近くには、絶品のお好み焼き屋さんもあって、ああ、また行きたいなあ、と心から思ったものであった。