悪口と幸せ

悪口と幸せ

175  姫野カオルコ 光文社

「結婚は人生の墓場か?」以来の姫野カオルコである。今回のテーマは、「人の見た目」…と言っていいのかなあ。それだけじゃなくて「生まれもって与えられた、自分の力ではどうしようもできない自分の属性」に関する物語と言ったほうがいいのかもしれない。微妙につながりあった「王女アンナ」「王女グレース」「女優さぎり」「モデル」の四つの短編からなる作品集である。

どの物語も、そこはかとなく現実のモデルを彷彿とさせる。これは、例のやんごとなき一族の話だな、とか、これはあの国民的アイドルとヤンキーっぽい歌手夫婦とその娘の話じゃないか、などとふと思える。思えるが、あからさまにそのまんまでもない。ただ、非常にそれっぽいだけで。

「女優さぎり」は、きれいだけど、スタイルもいいけれど、何しろ顔が大きい、脚が多少O脚である、という欠点をどこまでも追及するとこうなる、という話である。震撼とする。そういえば、私の身近にもO脚をものすごく気にする人がいたなあ。美人だと評判だったが、脚のせいで全く自信が持てないご様子であった。別にどうでもいいことなのに、なんでそんなに…と不思議だったのを思い出す。人はなんで長所より欠点に注目してしまうのだろう。自分の持つ良きところだけを大事に生きていけば幸せなのに。

幸いにして、というべきかどうかはわからないが、私は見た目で勝負しようと思ったことは一度もないし、それに疑問もコンプレックスもない。私の売りはそこではないので気にすることに意味はない、という気持ちがはっきりとある。まあ、この歳になると皆さんそうなってくるのかもしれないが、若いころからルックスにそれほど気持ちを持っていかれなかったことは、楽でよかったかも。人は見た目がすべてという人から見たら信じられない事かもしれんが。

そういえば、姫野カオルコは直木賞の受賞記者会見にジャージ姿で登場した人である。ジム帰りで時間がなくて・・とのことであったが、そうなのかな?きれいな服を選んで、それにふさわしい化粧をしてくつとバッグをそろえて・・・が負担で、ジム帰りという設定を選んだんじゃないか。だとしたら、その気持ち、ものすごーくわかる私である。いいじゃん、それで、と思っちゃうね。

まあ、そんな話、なのである。けっこう面白かったよ。