結婚は人生の墓場か?

結婚は人生の墓場か?

141 姫野カオルコ 集英社

信頼してやまない姫野カオルコであるが、この本はなかなかの重さであった。途中でうんざりして読みやめようかと思ったほどである。が、やめられない何かを持っているのが、これであった。あまりにも誇張しすぎてるよなあ、と思う一方で、こんな結婚生活、結構ざらにあるんじゃないか、という思いがむくむくと湧いてきたのが、私自身の意外な発見であった。

2005年から2006年にかけて雑誌に不定期で連載していた短編を最初から最後まですべて書き直して2010年に発表したのがこれである。短編執筆中に体調を崩し、入院したり手術したりしていた彼女は、久しぶりに本を出せるチャンスを貰って、この作品を一から書き直したのだそうである。

小早川正人という某有名出版社編集者の結婚生活の物語である。両親や祖父母から大事に愛され、私立ミッションの有名女子学校を幼稚園から大学まで出た雪穂という女性となぜか結婚することになり、そこから始まる怒涛の結婚生活。かわいらしく、無力で、守られるために生まれてきたような彼女が、さめざめと泣き切々と訴えることによってあらゆることを思い通りに動かす。それに反論することもできないまま、生まれてきた二人の娘を同じ私立女子校に幼稚園から入れ、良い環境を与え、何不自由なく育てるために何度も引っ越し、不動産を購入し、犬を飼い、犬を手放し、収入が少ないと責められ、何かが違うと思いながら日々を過ごす。そんな彼のわずかな反抗は、いったいどこへ行くのか・・・。

姫野カオルコは、母親から結婚は人生の墓場だと教えられて育った。結婚は地獄だという女性に何度も出会った。ところが、昨今は男性がこの言葉をうそぶく。新幹線の中で、結婚は人生の墓場だと語り合う中年サラリーマン男性の会話を、偶然じっくり聞く機会を得た。それから何人もの人に、結婚や人生について話を聞き、この作品を書き上げるに至ったという。男性の側の結婚の墓場観。それが作者には大いに新鮮であったのかもしれない。

が、一方で、これは別に男性側だけの物語ではない。この作品では、妻は涙という武器をもって夫の収入という報酬を要求し続けるが、男女を逆転させて武器を涙から暴力に、報酬を収入から家事労働あるいは性的供応その他一切の主婦の務め(?)に置き換えれば、それはそれで大いに物語は成立する。結局のところ、男も女も、同じようなことをしている家庭、夫婦というのはあるものだ。そして、それはすべて互いの価値観の違いや、それをすり合わせるためのコミュニケーションのなさや、そもそもの愛情の欠落から起きる悲劇である。悲劇であると本人たちが自覚しないほどの。

あまりにも誇張しすぎたストーリーだなあと辟易しつつ読んでいたのだが、ふと思い出せば、夫の収入が少なすぎると嘆き続け、愚痴り続け、それが自分の不幸であると切々と訴える人が私の身近にもいた。そしてそれをかわいそうだと同情する身内も彼女の周囲には存在した。彼女にとって必要最低限の経済力が夫にないという理不尽の物語が、そこでは語られ続けていたが、それが本当に最低限なのか、はたまた夫は本当にそんなに収入が少なすぎるのか、私には疑問であった。彼女があしざまに夫について語るので、で、そこに愛はあるのか、と問うたことがある。そんな夫に愛情はまだあるのか、愛がないならなぜ夫婦を続けているのか、という私の質問に彼女は「いったい何を聞かれたのだろう?」という表情をし、ついにそれへの返答はなかった。私は、結婚って何なんだろう、と不思議に思ったものだ。

でも、彼女にとっては、そして多くの人にとっては結婚とはそういうものなのであろう。だとしたら、結婚はある種の墓場だよなあ、としみじみ思う。でも、もう少しものを考えることを知っている人間なら、分かり合おうという気持ちを持てる健やかさを持ち合わせていたのなら、どこかで互いの思いをすり合わせ、価値観の齟齬を埋める手立てを探し、居心地のいい場を作る努力が行われるものではないか。少なくとも私たちはそうしてきたし、だから今、私たち夫婦がいる場所は墓場ではない。むしろパラダイスだと私は思っている。

まあ、そんなわけで、非常に重たい一冊ではあった。だが、示唆的な物語ではあるのだなあ。そして、この手法が後の名作「彼女は頭が悪いから」につながって行ったのかもしれないと思いもしたのであった。