介護者D

介護者D

62 河崎秋子 朝日新聞出版

北海道出身だが、東京の短大を出てそのまま東京で働いていた琴美。母が交通事故死し、残された父が体調を崩して「雪かきに来てくれ」と頼まれて戻ったが最後、そのまま介護生活に入った。もともと頼んでいたヘルパーも父が「金を払って人にものを頼むような人間に思われたくない」という理由で勝手に解約し、生活が彼女なしには成り立たなくなったのだ。

たった一人の妹はアメリカでシングルマザーとして働いている。琴美は契約社員だったが、たまたまその契約が切れたタイミングだったため、東京を引き払ってきた。札幌で仕事を探して生活しようと考えていたが、父の面倒を見るのが負担でなかなか動けず、やっと見つけた仕事もコロナ禍で終わる。

彼女の生活を支えていたのは、アイドルグループの「推し」を全力で支えることであった。だが、それも東京を離れてからは困難になり、コロナ禍でアイドルグループの今後も怪しくなっていく。

「周囲の人間に見栄を張るために我が子にあれこれ頼みごとをする老人」なら私の近くにも一人いて、そのために私は月に一回、泊りがけで面倒を見に行っている。別にものすごく大変なことではないが、少しは大変なことであるし、これから先どうなっていくかを考えると、少しの大変が徐々に増えていくことがわかる。琴美は、頑固な父親と関わる中で、自分の幼少期からの日々、どのように育てられたか、妹とどんな風に扱いが違っていたか、など、当時はそんなものだと思って気にも留めなかったことの背景が徐々にわかっていく。いわば過去の答え合わせが行われていく。この感覚は、非常に極めてよくわかる。そして、そのためにうんざりしたり、憂鬱になったり、それでもだからこそ今の自分があるのだと思い返したり。そういう作業があるからこそ、親族による介護は難しくなるものだ。それが身につまされて、わかる。

主人公はつらい思いをしているし、うんざりもしているのだが、客観的に見れば、この父親は、まだ、かなりましな老人の部類ではある。つまり、経済的に困窮していないし、認知に問題は生じていないし、ある程度の判断力、決断力もある。だが、介護する側にとっては、それでも日々は大変なものであり、自分がすり減っていくことは間違いない。外側から見たら、それくらいまだ楽な方よ、と思えるような毎日であっても、本人にとってはとても重荷であること。そういう経験を、私も知っている。そして、家族関係や介護って、そういうものだと思う。

最終的に、この父親は自分の生き方を自分の判断で決定する。それはもう、私から見たらとてもうらやましいことだ。だって、私の身近にいる人は、何一つ自分で判断しないからね。でも、それはないものねだりというものだ。

ストーリー的に優れて美しい文学だとは言わないが、この本は、非常にリアルで生々しい。そして、介護とは、こういうものだとつくづく思う。何か大きな出来事があるわけでもなければ、突拍子もない事件が起きるわけでもなく、ただただ似たような日々が続く中で、徐々にいろいろなものがすり減っていく。そして、それは大したことのないようなものでしかないのに、それを吐き出さずにはいられないような澱がどんどんたまっていくのだ。それをそのまんま描き出したという意味で、この本は私には意味あるものであった。

最後に、この作者についてちょっと調べて驚いたのだが、この人、羊飼いだったのね。以前にラジオでこの人の話を聞いたことがある。その時は、羊の飼い方について熱く語っていて、でも、最近は文章を書く仕事が忙しくなって、羊は飼ってません、と最後に言っていたっけ。そうか、この人だったのねー。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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