内田樹教授の最終講義

2021年7月24日

内田樹氏が、神戸女学院を退官されるので、最終講義が公開で行われました。最初はちょっと面倒だと思っていたのですが、夫に誘われて行ってみたら、大正解でした。

早めに行ったつもりなのに、たくさんの人が集まっていて、講堂はすでに後ろの方の席しか空いていません。卒業生らしい女性の他に、いろいろな大学の先生らしき方々も大勢集まっていて、ご無沙汰の挨拶や、近況を報告し合う会話から、ずいぶん遠くから、東京からもこの講義を聴きにいらしていることがわかりました。60で退官なんて羨ましい、夢のようだ、年金もまだ出ないのに、なんてお話も耳に届きました。

登壇された内田さんは思ったよりも小柄な方でした。講義は、まず21年間大過なく勤め上げられたことへの感謝から始まりました。小過や中過はありましたけど、と笑っていらっしゃいました。

東京では、誰かの言葉の接ぎ穂を狙って口を挟み、早口で自分の意見をまくし立てるような学術生活を送っていた、いわば切った張ったの生活であった。自分は武闘家でもあり、決して穏やかでもなくむしろ喧嘩っ早い性格であったので、こちらに就任して実は一番心配していたのは、諍いによる傷害事件であり、犯罪の加害者となることであり、減給、謹慎、懲戒免職という道をたどることであった。それが、何事も無くニコニコと笑って過ごせたことは本当に喜ばしいことである、と冗談交じりに、でもどこかに切実なものを感じさせる語り口で話されました。

こちらに移ってきたときは、父子家庭で、娘を育てながらの生活であったので、迷惑もかけたのに、みなさんそれを暖かく受け入れてくれて、とりわけ最初の五年間は、教授会の途中で、ご飯を作るために途中退出しても、それを咎めることもなく認めてくれて、本当に自由にさせてもらった。時が満ちたら、大学のために働いてもらうから、今はいい、と言ってもらった、と感謝を込めて語られました。この方の地に足の着いた思考は、こうやって、仕事と育児を両立させる生活の中から生まれたものなもかもしれない、と聴いていて思いました。

着任して数年後、震災が起こります。そこで、時が来たと彼は思います。大学の再建のため、様々な肉体労働も含めて、大いに働いた思い出は、そのまま、ヴォーリズの建築の素晴らしさの話へとつながっていきます。

神戸女学院の校舎の多くはヴォーリズによるものです。ヴォーリズは、学校とはこういう物だという深い思考に基づいて校舎を建築していた、と内田氏は語ります。

ヴォーリズの建築は、声が良く通ります。実際、この講義の始まりに、マイクのスイッチが入れ忘れられていたのですが、教授の声は、私たちのいる後ろの席まで、小さくてもはっきりと通って聞こえました。教壇から、生徒たちの席へ、そして、生徒ひとりひとりから、教室全体へ、必要以上の残響なしに、小さくてもはっきりと程よい響きで声が通るのです。

校舎の新建築に当たって技術者に、音についてどう考えているか尋ねると、彼らは決まって遮音の話をする、防音の話をする。けれど、教室という場に必要なのは、それだけではない。考えながら、言葉を発する、自分の耳で自分の言葉を確認しながら話す者にとって、最も心地良い音の響きをヴォーリズの教室は導きだす。この教室だからこそ、発言できるものがある、と生徒たちからも言われたものだ、と彼は語ります。この大学で長年教えてきたからこそ語れる実感の伴う言葉です。

ヴォーリズの教室は、暗い。その暗い場から、外に目を向けたときに、明るく、そして美しい風景が広がっているのに気づく。それは、学問というものを体現している、と内田氏は指摘します。外から見て同じような校舎でも、中はひとつひとつ、驚くほど違っている。そして、幾つもの秘密が隠されていて、気づかずに通り過ぎるような場所に、秘密のドアがあり、階段がある。好奇心を持ってドアを開け、薄暗い廊下や階段を通り抜けると、そこには必ず、外への出口か、そこに行ったものしか見ることができない風景が広がっている。興味を持って進んだものだけが知り得る、その人だけの風景。それは、学問というもののあり方について、長い時を経てヴォーリズからのメッセージを受け取ることでもある、と彼はいうのです。

そして、この大学を卒業した人でもわずかしか知らないであろう、とある校舎の秘密の階段、二階建ての様に見える秘密の三階、秘密の屋上について、また、ある場所にある、秘密のトイレと、そこから見える絶景について、楽しそうに語ったのです。

大学の財政再建を検討しているとき、某シンクタンクから、アドバイスがあったそうです。曰く、今いる土地を売り払って、別の地に新しく大学を再建しろ、と。今の校舎は古くてあちこち痛んで修理が大変で、維持費がかかる。建造物として、減価償却して既に無価値である。

「無価値である、といったのですよ。価値がないと。」と、内田氏は少し声を上げました。彼らは減価償却とか経済効率とか経営戦略ということは知っている、けれど、そういう事しか知らない。と、内田氏は言いました。ヴォーリズの残した、学校や教育への思い、メッセージが、建物を通じて、今も学ぶ者たちに伝えられている、それも、ごく個人的に、そのドアを開けたものだけに伝えられていく、そのことの価値を、繰り返し、繰り返し、内田氏は語りました。

言葉は弾み、時間はどんどん過ぎていきます。予定の時間を過ぎても彼は語り続けます。神戸女学院の「愛神愛隣」というモットーについて。神を愛することはあなたの隣人を愛することでもある、と。それは、大きな理想を語るのではなく、自分のできることを語れ、ということにも通じます。お前の拳のできる理想を語れ、と。彼が、政治というものと決別するときに思ったことを体現したのがこの言葉であった、と、感慨深く語ります。キリスト教精神に対して多少屈折した思いのある私にも、この思いはまっすぐ素直に伝わります。私もまた、私のできること、私が実現できる範囲で、私の理想を語りたい、追いたいと思ったことがあるからかもしれません。

予定時間をかなりオーバーして、最終講義は終わりました。打ち合わせが十分でなくて、挨拶もなくいきなり花束を渡されるハプニングが返って会場の暖かい笑いを誘い、鳴り止まない拍手のうちに、内田樹氏は壇を去って行きました。

それから、茶話会もあったらしいのですが、私たちは、彼の暴露した秘密の階段と隠し三階、秘密の屋上を見て回り(突然、そこは何人もの人が押し寄せる観光地?と化していました。)、校舎を見て回り、ラウンジでお茶を飲みました。古いけれど、大切に大事にされているのが伝わるような温かい校舎でした。庭には緑が溢れ、こんな環境で青春の一時期を過ごせたら、たしかに素敵だと思いました。ああ、でも、おちびを受験させるのは遅かったわ。大学で行くっていうのはどうだろうね、とちょっと本気で思いました。

そうそう。卒業生が連れてきたのでしょう。小さなお子さんも何人もいて、途中で「センセイ、ガンバッテ」なんて片言の声援も飛んでいましたが、センセイ、にっこり笑って「きっと教え子のお子さんだと思いますが」と言われました。

帰路、「実際に会って声を聞くというのはまた違っていいものだね」と夫が言いました。そう、どんなに本を読んでも、あるいは画面を通じて声を聞いたとしても、同じ場にいて、同じ空気の中で話を聞く、実際に体験するということにはかないません。ナマの力というのは確かにあるのです。そして、この先生の話を聞きたい!と思えるような教師に出会えるかどうかは、大学生活がいかに豊かであるかどうかの大事なポイントです。内田樹先生の話が聞けるのなら、その大学に行きたい、と思いました。そう思える先生がいた?なんて話をしながら、帰ってきました。夫も私も、何年も講義を聞きたいと思った教師に、確かに会えてはいたようです。

神戸女学院は、駅からちょっと歩くし、さらに、キャンパス内に入ってから山を登る、結構ハードな環境ではありますが、そして、ちょっと疲れ気味で、行くのをためらいもしたのですが、行って良かった、楽しかったね、と言い合いながら、幸せな気持ちで帰ってきました。良い一日でした。

2011/1/24