教科書の中の戦争

教科書の中の戦争

2021年7月24日

小4のおちびが、音読の宿題で「一つの花」を読まなくちゃいけない、と嫌そうな顔をしています。こういう辛気臭いお話は嫌いなのだそうです。昨年の「ちいちゃんのかげおくり」も、いやって言うほど読まされました。つまり、いやって言うほど、私も聞かされました。今年もまた、始まるのか・・と親子ともども、なんだか、うんざりしています。

・・・なんて書くと、罰当たりなのでしょうか。戦争の悲惨さ、平和の尊さを、私たちは語り継いでいかなければなりません。私だって、そう思います。でも。

でも、「ちいちゃんのかげおくり」も「一つの花」も、本当に、戦争の悲惨さや、平和の尊さを教える教材なのだろうか、と私は疑問でなりません。なんだか、とても悲しくて、センチメンタルなお話ですが、これは、戦争の本質を描いた作品ではなく、家族の絆の物語として読んだほうがいいのではないかと思えてなりません。少なくとも、これを教科書に載せることで、戦争についても教えたぞ、とアリバイを作るつもりだとしたら、どうなんだろう・・と思ってしまうのです。ええ、人の悪い書き方ですが。

音読を聞いていて、気がついたのですが、「ちいちゃん」も「一つの花」も、出征して行ったお父さんは、体が弱い人のようです。そして、ちいちゃんも、「一つの花」のゆみ子も、まだ学齢にも達していない小さな子どもです。

体が弱いのに、戦争に行かなくてはならない男性が、登場するのは、なぜでしょう。当時の出生して行った人たちのほとんどは、健康な人だったはずです。戦況が悪化して、丙種合格の、あまり強くない人たちも、最後には出征して行ったそうですが、兵士のほとんどは、まずは甲種合格の人たちだったと思います。働き盛りの、健康な働き手を失った家庭の話ではないのは、なぜでしょう。

小3、小4の教科書なのに、同じような年齢の子ではなく、学齢に達していない小さな子が主人公になるのは、なぜでしょう。親しみやすさ、わかりやすさから考えたら、同じ小学生が、戦争をどのように体験したかを学んだほうがいいのではないかと、単純には思うのですが。

・・と考えてきて、気がつきます。つまり、弱い人が、教科書には登場しているのです。戦争の明らかなる「被害者」であることが求められているのかもしれません。

私の母は、戦争中、ちょうど小学生でした。学校で「鬼畜米英」と教えられ、戦争は正しいと習ったそうです。父親(つまり、私の祖父)は、母の兄と弟たちを、「軍人にする」と決めていたとも聞きます。出征する人を送り出すときは、胸が高鳴ったし、勇ましく戦うことは何よりも正しいと信じていたそうです。学校も、親も、そう教えていたのです。

教科書に、学齢期の子どもが登場したら、戦争は正しい、勇ましく戦うことは何よりかっこいい、と思っているのが自然です。そして、学校では、敵を倒すこと、戦争に勝つことを何にも優先して教える姿を描かなければなりません。・・・それは、教科書に載せるのは、まずい、ということではないでしょうか。

お国を守るために、自分から進んで戦いに出て行った人たちも、たくさんいます。私の父も、予科練飛行学校に志願して入学した人です。戦って、死んでいくのだと覚悟していたそうです。当時の、まじめで真摯に生きている若い多くの人たちは、そう思っていたのでしょう。でも、そういう人たちを、教科書に登場させるのは、やっぱりまずいのかもしれません。体が弱くて、家族が心配で、本当は行きたくない戦争に、無理やり行かされる・・・そういう登場人物でないと、いろいろ面倒なのかもしれません。一方的に、被害を受けた人たちの話でないと、戦争において、加害者的立場の人間が出てくると、話がややこしくなる・・・そういうことではないか、と気づくのです。

「ちいちゃん」も「一つの花」も、戦争は、まるで、自然災害のようにも思えます。抗うことも、避けることもできず、ただただ受け入れなければならない運命。それに翻弄される、かわいそうな、弱い人、小さい人たち。戦争を、大地震や、大津波やに置き換えても、読もうと思えば読めそうです。戦争はなぜ起こり、誰が起こし、人々はそれをどう捉え、何をしたのか、何ができたのか、何をしなかったのか。そういう視点はまったくありません。そして、あっては困るものなのかもしれません。少なくとも、教科書の中に。

前に、メディア・リテラシーのことを書きました。教科書の中の戦争も、そこにつながってくると私は思います。戦争を、学校はどう教えたのか。世間は、社会は、政府は、人々は、どう考え、行動していったのか。敵を定めて、誰もが同じ方向を向き、怒涛のように流れていったそのとき、違う方向を向いたり、違う位相でものを見たり、疑問をさしはさむことができなかったのは、なぜなのか。それが、どんなに恐ろしいことなのか。戦争の本質は、むしろ、そこのところにあるのではないか、と私には思えます。そして、それを本当は教えなければならないのに、とても大事なことなのに、教科書は、学校は、国は、それを決してやろうとはしていない。ただ、運命のように、戦争は、悲しいもの、怖いもの。でも、優しい心は忘れないようにしようね、なんて。

「ただの辛気臭いお話」と切って捨てるおちびの感想を、私はいさめることも、否定することもできません。なぜ、こんなお話しか教材にならないのか。それで、戦争を教えたことにしていいのか。音読を聞くたびに、私はため息が出るのです。

2008/9/23