南極探検とペンギン

南極探検とペンギン

160 ロイド・スペンサー・デイビス 青土社

副題は「忘れられた英雄とペンギンたちの知られざる生態」である。かなり分厚い本で、面白いのだけれど、読みにくい本であった。時間がかかったわー。

著者はペンギン学者で、ペンギンには同性愛、離婚、不倫、強姦、買春などが見られることを発見、検証している。だが、彼の発見は、実は100年以上も前に、南極点を目指したイギリスのスコット隊の一員であったジョージ・マレー・レビックによって先行されていたのだ。レビックは、南極点到達を目指すスコット隊の医師、カメラマン、動物学者であったが、南極点を目指すスコットたちとは最終地点で別の場所を調査するグループに入り、その結果、スコットたちのような悲劇的な最期を遂げることなく本国に帰還している。

レビックのペンギン研究は極めて先進的なものであったのだが、なぜかペンギンの同性愛的な行動や不倫といった事象については発表されていない。ペンギンは、一夫一婦制を取り、愛情深くともに子どもを育てる道徳的な動物であるという側面だけが強調されて発表され、性的に奔放、あるいは不道徳な部分については隠されたのだ。

著者は、レビックの遺した研究ノートを実際に見つけ出し、ペンギンに関するそれらの不道徳な事象が、暗号やギリシア語などによって記録され、上に紙を貼りつけられたり、発表するべきではないというメモと共にしまい込まれていることを検証した。当時、ビクトリア時代の、性に対する厳格な風潮は、このような事象を発表するのは望ましくないという判断を下したのかもしれない。

著者は、そこから出発して、世間にほとんど知られていなかったジョージ・マレー・レビックの半生を追う。そのためには、南極点到達を争ったノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコットの壮絶な争いを負い、描くこととなる。スコット隊には、「エンデュアランス号漂流記」のアーネスト・シャクルトンもいる!(という興奮には、「エンデュアランス号漂流記」を読んだことのない人はついてこないだろうなあ・・・。機会があったら、ぜひ、読んでね!)

どちらが先に人類初、南極点に到達するか、スコットとアムンゼンの闘いは、私も小学生のころ、学研の「科学と学習」などで胸を躍らせて読んだ覚えがある。最初は北極に向かうと宣言しておきながら、外洋に出た時点で「実は南極点を目指すのだ」と言ったアムンゼンが悪者扱いされて、先を越されて雪の中で死んだスコットが英雄扱いされている物語が多かったし、そういう印象が私にも残っている。だが、本書を読むと、アムンゼンの周到な準備と冷静な判断に比べて、スコットは思い込みが激しすぎる人であった。極地の専門家、ノルウェーのナンセン(アムンゼンの師匠でもある)の助言も話半分に聞いて尊重しなかった。アムンゼンは、犬ぞりとスキーで南極点を目指し、成功するのだが、スコットは、なぜか極地に向かないポニーに荷物を背負わせようとして、結局死なせてしまう。スキーも全く練習せず、人間がそりを引くことが何か崇高なことのように考えていた節さえある。ナンセンが犬ぞりを引けとうるさいので数十頭犬を連れて行ったが、エサを十分に用意していなくて結局役に立たなかったという体たらくである。こんなこと、子ども時代読んだ本には載っていなかったなー。

この本が読みにくかったのは、著者自身のペンギンとの出会いや、レビックに興味を持った過程、そしてペンギン研究の実際といった現代の物語と、スコットたちの冒険、アムンゼンたちの冒険、彼らを支えたはずのナンセンという師匠や周辺の人々、家族などの物語が入れ代わり立ち代わり、入り乱れて語られるからである。そうすることで、よりドラマチックにはなるのだが、時代や場所や登場人物が次々と、それもあまり説明もなしにどんどん入れ替わるので、ついていくのがとても大変であった。

皮肉なことに、というより敢えてなのだろうけれど、ペンギンたちの不倫や性的な奔放さを描くと共に、人間たちの不倫や性的な不道徳も同時進行で描かれている。びっくりするのは英雄スコットの妻は、彼に助言を与えたナンセン(それも敵のアムンゼンの師匠!!)とも不倫するし、彼以外の極地探検家とも不倫に走る。スコットの死後も、それは止まらない。極地を目指していたはずなのに、イヌイットの娘に子どもを産ませちゃう探検家のエピソードも出てくるし、人間て、なんて不道徳なの、あらー、ペンギンも同じなのねー、という身も蓋もない物語が展開するのである。

スコットは、隊員が凍傷にやられ、食料も十分にない状態ですら、重い重い岩石標本をそりに入れて運び続ける。生き延びたかったら、即座に捨てればいいものを。ペンギンの性的な不道徳をなかったものにしようとする当時の風潮と、生き延びるために何もかもかなぐり捨てるなどというカッコ悪いことは絶対に選ばないスコットの意固地な態度は、似ている。体面のために本音は捨てられるのだな。

苦労しながら時間をかけて読んで、長い長い旅を終えた気分。あー頑張ったわ、私。南極は、寒かった。