国境のない生き方

国境のない生き方

2021年7月24日

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国境のない生き方 私をつくった本と旅」ヤマザキマリ 小学館新書

「男性論」以来のヤマザキマリである。あの本の感想に「スティーブ・ジョブス」を読む、と書いているのに、まだ読んでいない私。反省。

ヤマザキマリ。北海道の大地で音楽家のシングルマザーに育てられ、14歳でヨーロッパを一人旅し、17歳でイタリアに単身留学し、18歳で現地の詩人と同棲、キューバでボランティア中に身ごもり、10年間共に生活していた恋人と別れて、帰国後子どもを産み、35歳で13歳下のイタリア人と結婚、シリアに住む。さらっと経歴を見ただけでも、ダイナミックな人だとわかる。そんな彼女を培ってきた数々の旅の思い出と読んだ本について書かれている。

彼女の子ども時代の愛読書は「ニルスのふしぎな旅」だという。

私は、人間のつくった境界線など無視して大空を飛べる鳥でもなければ、広い海を自由に泳ぐ魚でもありません。でも、自分も彼らと同様、既成概念にとらわれることなく、地球上に生きる一介の生き物として、貰った命を謳歌したい。

ヤマザキマリのキーワードは「ボーダーレス」である。「男性論」でもこの言葉が度々登場していた。他者に規定されたものや既成概念にとらわれない、境界線のない自由な生き方。それがどのように出来上がったかがわかる本だ。

「他人の目に映る自分は、自分ではない」と彼女の母はいつも言っていたという。母親は、シングルマザーで、時に子どもたちをおいて演奏旅行に出ていってしまうような人だった。ずいぶんと寂しい思いもさせられたという。それでも、何より母自身が一生懸命生きているのが伝わってきたので「この人は信頼できる」と思っていられたという。いい話だ、と心底思う。自分を信頼し、ひたむきに生きる。そんなお手本が、彼女の身近にあった。

いま、いろいろなところで戦争が起きていて、やられたらやり返すみたいな終わりのない暴力の応酬がある。ヤマザキマリは、これを

突き詰めて考えれば、これも想像力と寛容性がないからだと思うのです。

と指摘する。かつての革命家は殆どが教養人であった。例えばチェ・ゲバラがキューバを捨ててボリビアに行った時、まずゲリラたちにゲーテの詩集を配って「まず、これを読め」と言ったという。実際に教養で人を動かすのはとても大変なことだが、そうせずにはいられなかった気持ちはわかる、と彼女は言う。

カトリック教会が強大な権力を持って、ちょっとでもはみ出すと火あぶりにされちゃうような時代に、神聖ローマ皇帝フェデリコ二世は、エルサレムを統治していたアイユーブ朝のスルタン、アル・カーミルと直接手紙のやり取りをして、その知性で相手を魅了し、一滴の血も流さずに和解に成功する。ローマ教皇に二度も破門されたまま、十字軍として遠征して誰にもなし得なかった和平交渉をやってのけたのだ。また、「テルマエ・ロマエ」のハドリアヌス帝も、辺境まで行ってボーダーの向こう側の人たちと直に対話しようとしている。そんな歴史的事例を上げた後に、彼女はこう書く。

でもそれって「人間同士、わかり合いましょう」みたいな、そんな単純で楽観的な話ではない。(中略)そのせいで、それを快く思わない元老院の人たちに暗殺されそうになったりもする。そういう中で「対話し続けること」を政治の中心に据えることが、どれだけタフな能力を必要とすることだったか。

私はこの言葉を、いま、この時代の政治家たちに読んでほしいと思う。そんなタフな能力をもった人に出てきてほしいと願う。

彼女は、人が後天的に押し付けられた制度や文化や価値観を取り払うことで、人間の普遍的で本質的なものを見極めたいと強く考えている。だが、人は、自分が生きるコミュニティの制度や文化や価値観から完全に逃れるのは難しい。その中で、その人本来の生き方をまっとうするには

私は、その手立てのひとつが「教養を身につけること」ではないかと思っています。何かを矯正されそうになった時に、「でもこういう考え方もある」「まだ、こういう見方もできる」と「ボーダー」を超えていく力。

これこそが、学ぶこと、知識を得ること、考えを深める事の本質であると私も思う。与えられた枠から自由になり、自分本来の自由な生き方を得るために、そして、人とわかり合うために、教養は大きな力となり、武器となる。ちまちまとテストの点を増やすための丸暗記などではない、大きな力としての教養である。

そんな彼女が自らの思いを注ぎ込んだという「ステイーブ・ジョブス」と「プリニウス」、読まなくちゃ、と思いながら、まだ手に入れていない。今度こそ、読まなくちゃ。

          (引用は「国境のない生き方」ヤマザキマリ より)

2017/9/4