国語が子どもをダメにする

国語が子どもをダメにする

2021年7月24日

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「国語が子どもをダメにする」福嶋隆史 中公新書ラクレ

夫が借りてきた本。私が携わっている仕事にちょっと関連するみたいだし、面白いかもしれないよ、と渡されました。なるほど、面白い。面白いけど、この本、ツイッターを元にしてあるらしく、そのせいもあるのでしょうが、文章が、時々読みにくいのです。国語力を論じている文章の国語力に、ちょっと難あり、って困ったことですが。

でも、この本に書いてあることは、ほぼ納得です。国語教育って、ひどいことになってます。わが子たちの小学校の授業をつらつら眺めるにつけても、そう思って来ました。国語の授業が、まるで道徳の授業みたいになってるという指摘は、まさにそのとおりです。

ちいちゃんのかげおくり」がこの本の中で例としてあげられています。この物語については、私もブログで以前に書いたことがあります。「ちいちゃんはかわいそうだなあと思いました」なんて感想を言うことが、国語教育なのか、と私も疑問に思ってました。

国語って、とどのつまりは、言葉というツールをいかに正しく操れるか、技術を磨く学問だと思います。感性を磨いたり、優しい心を持ったり、正しさを学ぶ学問じゃありません。この本は、それをズバリと指摘しています。国語の基礎は、論理的思考の技術である、と言い切っています。

論理的思考力とは、関係を整理する力である。
「力」とは「技術を使いこなす能力」のことである。
だから正確には、論理的思考力の定義は「関係を整理する技術を使いこなす能力」となる。(中略)
論理的思考力とは「三つの力」である:
「言いかえる力」
「くらべる力」
「たどる力」

おいおい、そんなにシンプルに分けちゃっていいのかい、と思うのだけれど、この説は実に説得力を持っています。確かに、その三つに分けるとわかりやすいのです。

ところで、「言いかえる力」の訓練を見てみましょう。

Aとは、Bである。/B、それがAである。

という課題が例として出されています。

「プレゼントとは、もらったら嬉しいものである」

「プレゼントとは、あげるときは値段やタイミングに気を遣うし、もらうときもお返しを気にしたり、嬉しくなくても喜んだりしなければならないという、面倒なものである」

上の例が、小学生が最初に出した答えで、後の方は、プレゼントをマイナス評価で書くよう指示されて、できるようになった子の答え。なるほどね~。こういう課題は楽しいですな。

というように、それぞれの力を身につけるための課題は、非常に知的に楽しいものが多く載っていて、思わずあれこれ書きたくなっちゃいました。確かに、国語力、付きそうです。

というわけで、国語教育に疑問を持っている人が読んだら、うんうんと頷きたい内容がたっぷりの熱い本です。が、なんか余裕が無いなあ、とも同時に思います。やっぱり、ツイッターが元になってるのがネックなんでしょうか。

国語塾を始めてから、中高生の幼さに呆然とした、と、この本には書いてありました。私も、仕事の中で、時として同じことを感じます。中学生の文章力って、想像以上に低い、弱い、そして、幼い。それは、体系的な指導を受けてこなかったからだ、という指摘が正しいかどうかは、私にはわかりません。が、問われている内容をしっかりと受け止め、思考し、整理して文章化するという力が、恐ろしいほど、中高生にはない。その現実には、私も呆然とします。

言葉で伝え合うという技術がないと、人はわかりあえません。そういう意味で、国語力の低下は、大きな問題だと私も思います。

(引用は「国語が子どもをダメにする」福嶋隆史 より)

2012/11/6