幼い子の文学

幼い子の文学

2021年7月24日

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「幼い子の文学」瀬田貞二 中公新書

図書館の児童書講座や読み聞かせ講習で、必ずといっていいほど参考図書にあげられる文献です。が、なんだか理屈ばかり語られそうな気がして敬遠してきました。しかし、それは大間違いでした。

今、受講している読み聞かせ講座の講師の先生が、レジュメの参考文献に、この本の題名を書いていらして「前にも参考文献としてあげたんですけどね、たまに書いておくと、また読もうかな、と思ってもらえないかと思って。これは読んでおいてほしいんですよね」とおっしゃるのに引きずられて(?)ついに手にとって、大正解でした。

何年か読み聞かせ活動を行なっている間に不思議に思ったこと、こうではないかと考えたこと、さまざまな疑問に、ぴたりぴたりと当てはまるようなことが書かれています。みんながいいと思っているようなことでも、ちょっとこれはどうかな、という処を、きちんとおさえてあって、あ、やっぱりそうだったんだ、納得できるようなことがたくさん。

たとえば、わたしは「ひよこのコンコンがとまらない」の繰り返しの構造を、「これはおひさま」や「これはのみのぴこ」と比較して考えていたのだけれど、実はこれは昔話にたくさん出てくる構造で、「行って帰ってくる」物語の一つの形である、と説明されていて、すとんと腑に落ちたのでした。とともに、このような形の物語を語るときには、なめらかな語りが重要で、よどみなく語れるように、十分練習しておく必要がある・・・と書いてあって、私は身が引き締まる思いがしました。

そして、瀬田さんは、そのよどみの無さという観点から大劇作家の木下順二氏の「おばあさんとぶた」の翻訳に対し、引っかかるのではないか、という懸念を見せるのです。木下順二さんの専門である劇の作法として、全体の論理の流れを貫くための釣り針のようなものが必要なために、物語でも、つい繁辞やなんかをぶらさげてしまうのではないか・・・と書かれているのですが、これなんかは、はっとする指摘でした。

日本のなぞなぞや童歌などに対する温かい眼差しにも、心打たれました。わたしたちが子ども時代に何気なく口にしていた「かえるがなくから、かーえろ」「いちばんぼーし、みーつけた」なども、今の子どもたちは言うのかしら。「おふねはぎっちらこ」なんて遊び、するのかしら。そういうものを、私はきちんと子どもたちに伝えられたのかしら。今となっては、もう、孫を相手に伝えていくしかないような年齢に差し掛かっていますが、こうしたことばの豊かさを、どうにか伝えていきたいと私は思いました。

学生時代、私は児童文学のサークルに入っていました。そこには瀬田先生の文庫に通っていたという人もいて、彼女は、その影響で、英米文学を専攻したのです。今では大学で英文学を教えているはず。この本の最初の方に書かれている、文庫の卒業生のお話は、もしかしたら、彼女のことではないかしら、なんて思いながら読みました。瀬田文庫のおかげで豊かな人生を送ることになった人は、たくさんいたと思うのです。

2012/10/27