井田真木子著作選集

井田真木子著作選集

2021年7月24日

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「井田真木子著作選集 第2集」 里山社

「井田真木子著作選集」の第二集が出た。里山社、頑張っているなあ。この本には「小蓮野恋人」「ルポ十四歳 消える少女たち」のノンフィクション二作に、幾篇かのエッセイと詩作が載っている。

「小蓮の恋人」も「ルポ十四歳 消える少女たち」も、五、六年前に既読である。が、読み返してなんと新鮮なことか。言い換えれば、こちらの受け取り方がずいぶんと変化しているのだ。「小蓮の恋人」を、以前、私は異文化間の軋轢を大きなテーマとして読んだが、いま読むと、これは、ひとりの残留日本人孤児二世の成長物語でもある。また、「ルポ十四歳」は逆に、以前は一人の女の子の成長物語であったのが、今は性に関わる社会問題として迫ってくる。

自分の子の年齢が大きくなったことや、私自身が当時から今までにいろいろな経験をしたことも影響しているのだろう。また、社会情勢が大きく変わったこともある。中国という国と日本の関わり方も、十四歳くらいの女の子のあり方や、少女売春というものも、経済成長やネットの発達によってずいぶんと変化している。時代はあきらかに変わってきているのだと改めて思う。

もうひとつ気がついたのは、私は、ノンフィクションを読むのと同時に、井田真木子という女性を見つめているということだ。もっとたくさんの仕事を出来たかもしれない彼女がなぜ夭逝しなければならなかったのか、を考えずには読めなかったのだ。

「十四歳」の最後に出てくる彼女自身の被強姦体験が、その後の飲酒行動や自棄的な態度に繋がっているのだとしても、それにしても、これだけ取材対象にのめり込みながら自分という存在を大事にしなかった彼女のあり方を私は不思議に思う。どんな存在にも、どんな人間にも、その人が生きる価値がある、というのが彼女の基本にはあったはずなのに、自分自身の価値というものを、なぜ、ここまでないがしろにしていたのだろう。

ろくに食事も取らず、睡眠も取らずに仕事に打ち込んで倒れたり、強いお酒をあおるように飲んでは酔いつぶれたり、ひどい栄養状態、身体状況で何度も救急車で運ばれたりした彼女。離婚に終わった短い結婚生活も、生きる力とはならなかったのか。

彼女のノンフィクションは、立ち入り過ぎではないかと思われるほどに取材対象に状況介入している。また、取材対象者を海外に連れ出すことも多い。そうやって、他者をまるごと引き受け、同一化することで、ここまで肉薄したものが書けたのかもしれないが、それは同時に自分を無にする、ないものとすることでもあったのかもしれない。そこに私は、どこか自罰的というか、自分を許さないような姿勢を感じるのだ。そして、そんな自分を強がってみせるような部分も。感じ取るのだ。

もし、彼女がもう少し長生きをして、そして、取材対象ではない、本当に心からの個人的な愛情を注ぐ対象をもつことがあったら、彼女の書くものはまた変わっていったのではないか、とわたしには思えてならない。そんなものを読めればよかったのに、と溜息をついてしまう。
2015/8/24