日本人はどこから来たのか

2021年7月24日

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「日本人はどこから来たのか?」海部陽介 文藝春秋

 

ホモ・サピエンスはアフリカを起源として世界へ拡散した。我々日本列島の人間の祖先は長い長い旅を経て、この極東の地にたどり着いたはずである。
 
従来、ホモサピエンスのユーラシア浸出はアジアの南側の海岸線を伝ってオーストラリアへ至るルートで起こり、その後かなり遅れて内陸部へ進出した、という海岸移住説が定説となっていた。が、筆者は、祖先たちが最初からアジアの南へも北へも同時爆発的に拡散し、ヒマラヤの南と北へ別れた人々は最終的に東アジアで再会したと考える。そして最終的には、サハリンから北海道へ、朝鮮半島から九州へ、台湾から沖縄への3方から日本列島へ渡って来たはずだという仮設を立てた。それを証明するのは、海外の遺跡の比較とDNA研究との重層的な研究である。
 
歴史を勉強していると、気が遠くなるほど昔の話だと思うことがあるが、それよりもさらににさらに遠い昔、私たちはアフリカから長い旅を続けてきていた。それを改めて思い知らされる本である。毎日怒ったり泣いたり笑ったりする瑣末なことがどうでも良くなるほど壮大な問題を目の前に広げられた思いがする。
 
筆者はこの仮説の実証研究のひとつとして、実際に古代舟を作って台湾から与那国島への公開を行う予定を立てている。現在、資金を募集しているので、興味のある方は
 

国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

 
というサイトを検索していただきたい。
 
あとがきで筆者はこんなことを書いている。
 
 本文では、最初に日本列島にやってきた人々の血が、部分的に私達に受け継がれているとも書いた。その裏には別の意味があることも、述べておかねばならない。それは人類史の中では集団の移動と混血、文化の伝播と相互作用が繰り返されているため、事実上”純粋な民族”や”純粋な文化”は存在しないということだ。アイヌ、大和民族、琉球民族、そして朝鮮民族や漢民族などの区分があるが、これらも長い歴史の中で互いに混血しあっており、その間はゆるやかに連続している。同じホモ・サピエンスのしゅうだんどおしなのだから、それはそういうものなのだろう。
 だが現実社会の中では、個々の民族は明確に独立した単位で、時代的に不変で固定的と誤解されることがあるし、その上で特定の民族の優越性を唱える声や政治的意図も根強くある。そうした行為は不必要な軋轢を生むだけで、人類にとって利益のあるものではない。
 だから私は、より多くの一般市民が、人類史を学ぶことを通じて”民族”というものが、政治や言語そして人々の認識といったもので人工的に規定されている仮の線引にすぎないということを理解することが重要だと思う。それによって優劣という意識が薄まり、他の人々を尊重する空気が国際的に醸成されることを願っている。
 
            (引用は「日本人はどこから来たのか?」より)

 

私は、この意見に全面的に賛成である。
 
 
ところで。本日より2016年度のカウントを開始する。2015年度は166冊と例年に比してかなり少ない冊数で〆た。要因は、ひとつには春から世界史の勉強を始め、これが予想以上に時間を要したことである。が、それは大した問題じゃなく、最大の要因は加齢であると考えられる。老眼が進行したため、長時間の読書が辛くなったことと、そもそも老眼鏡がないと読めないというハードルが出来てしまい、ちょっとした時間にパラパラ読むことがむずかしくなったためである。あとは「弱虫ペダル」とか「キングダム」とか40巻以上のものを一冊ずつでカウントしているのもあるかなあ。いずれにせよ、冊数が多けりゃいいってもんじゃないしね、と自分に言い聞かせた年度末であった。さて、今年度はどうなるかな。

2016/4/4