死ぬ気まんまん

死ぬ気まんまん

2021年7月24日

62「死ぬ気まんまん」 佐野洋子 光文社

元気がでないときは、佐野洋子を読む。
このところ、いろいろあってエネルギー値が下がっているので、佐野洋子を読んでいる。
本棚から、旧作も引っ張り出す、新刊も買う。

「そうはいかない」「がんばりません」「死ぬ気まんまん」・・・・。
「何、これ。」
と、おちびが呆れる。
「へんな題名ばっかり。誰、これ。」
「谷川さんの、元奥さんだよ。」
「えー、あのおじいちゃんの。何番目の奥さん?」
谷川俊太郎さんに会ったことのあるおちびは、こんなことを聞く。
「三番目。」
「ふうん、へんな趣味の人なんだねえ。」

へんな趣味じゃありません。
佐野さんは、すてきです。
この人を読むと、元気が湧いてくる。
こわいものがなくなっていく。

「死ぬ気まんまん」は、佐野さんの最後の本だ。
乳がんが骨転移して、余命ニ年を宣告された病院の帰りがけに、「これください」と外車をぽん、と買って、「あたしもうすぐ死ぬわよ」とふれ回ったら、みんなセーターを裏返したように、親切になるのである。
ところが、なかなか死なないのである。
佐野さんは、ジュリーのコンサートに行った。
還暦のジュリーが、八十一曲歌う。
転移した骨が痛かったら、途中で帰ろうと思ったのに、最後まで聞いて、佐野さんは幸せであった。

佐野さん、ジュリー聞いたんだ。
良かったなあ。
生きてて良かった、と思えて、良かったなあ。

佐野さんが、おそらく欝を病んでいた頃の、十年以上前の入院日記も掲載されている。
死ぬ直前よりも、こっちのほうがずっとつらそうで、ずっと死にそうだ。
だんだんに、そこから回復していくのが読み取れる。
佐野さん、その時のほうが、苦しかったんだ。
良かったね、元気になって。
元気に死ねて、良かった。

::::::::::::::::::::

先日、久々に実家に帰った。
八十を超えた父が、ついに携帯を持ちたい、というので、購入、契約、使い方のレクチャーに行ったのだ。
携帯を買うのが、あんなに大変だとは思わなかった。
使い方を教えるのが、あんなに困難な仕事だとも、知らなかった。
父は、とても年をとっていた。

父は、思い出話をする。
亡くなった友人の話をする。
仲の良かった人は、どんどん死んでいってしまった。
寂しかろう。
それは、長生きの証でもあるけれど、寂しいことに変わりはない。
父は、死ぬのがこわいのかな。
私は、父と話しながら、ずっと、死のことを考えていた。
いろいろなことがありすぎて、死ぬことを考えるのが、当たり前の毎日になってしまった。
(きっと、みんなそうなのだろう。)

佐野さんは、目の前で、たくさんの人が死んでいった、と繰り返し書いている。
兄弟が、何人も死んだ。
父親が、ぽっかりと、目を開いて天井を眺めながら、長い時間をかけて死んでいった。
確執のあった母は、和解の果てに死んでいった。
死は当たり前で、だから怖くはなく、元気に死んでいこう、と佐野さんは思っていた。
きっと、安らかに死んだのだろう、と思う。

悲しかったけれど、佐野さんは、安らかな気持ちで逝ったのだ、と私は確信した。
いつか、私にもその日が来たら、佐野さんのように、死ぬ気まんまんで、元気に逝けたら、と心から思う。

死なない人はいない。
そして死んでも許せない人など誰もいない。
そして世界はだんだん淋しくなる。

引用は「死ぬ気まんまん」より

それにしても、最後に関川夏央が書いた「ミスタ李」の正体の話は衝撃的である。
そんなことって、あるんだ。
ありそうだな。

2011/7/1