流星ひとつ

2021年7月24日

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「流星ひとつ」沢木耕太郎 新潮社

 

子ども時代、藤圭子は、私にとっては不思議な人だった。いつも暗い顔をして、心をぞくりとさせるような歌を歌っていた。彼女が結婚した時に、ちっとも嬉しそうじゃないな、この人、と思ったのを覚えている。その頃は、「スター千一夜」とかいう番組があって、母が見ていたので、それで私も見たのだと思う。それから程なくして離婚した時も、なんで離婚したのか二人ともよくわかってないみたいで、ひどく不思議だった。自分たちで決めたことだろうに、なんでこんなにわかってないんだろう、と子ども心に思ったものだ。ただ、この人の歌は、心を確実にぞくりとさせるものだった。
 
藤圭子は投身自殺した。私はその時、宇多田ヒカルがかわいそうだ、とそれだけ思った。母親が自殺したら、子どもはそれからの一生を、私がどこかで助けられたのではないか、あの時ああしておけば、と思い続けて過ごさねばならないではないか。藤圭子がどんなに辛くても、二度と家族と一緒に過ごせなくても、自殺だけはやめるべきだった、と私は思った。事情も知らない、何の関係もない無責任なおばさんがそう思った、というだけのことだが。
 
この本を読んでいる夫にそんな話をしたら、その秘密がこれには書いてあるよ、教えてあげようか、と言われた。いや、自分で読むから話さないでね。というわけで、読んだのだ。
 
引退直前の藤圭子へのインタビューだけでこの本は構成されている。長い対話の中から、藤圭子の様々な過去が浮き上がってくる。純粋で、お母さん思いで、正直な人柄が伝わってくる。父親のドメスティックバイオレンスも明らかになる。歌への思いや、声へのこだわり、これからを前向きに考えている姿勢も見えてくる。
 
沢木耕太郎は、この原稿を書き上げ、出版の承諾も本人から得ていながら、発表を取りやめた。ノンフィクションのひとつの「方法」のために藤圭子を利用したのではないか、というためらいがあったという。そこで、たった一冊だけ本をしたてて、それを藤圭子に渡し、原稿は保管した。藤圭子はその本をとても気に入ってくれたという。
 
その後、何度か発表のチャンスはあったが、宇多田ヒカルの母として幸せに暮らしている藤圭子を煩わすことがないように、それは控えられた。今回、これが発表されたのは、沢木耕太郎が、若いころの藤圭子の姿を宇多田ヒカルに伝えたいと思ったからだという。たしかに、これを読むと、藤圭子の若いころのきらめき、真っ直ぐな精神、いきいきとした人柄が伝わってくる。
 
彼女にはこんな青春があった。こんな若い日々があった。それを読むことが、宇多田ヒカルの助けになればいい、と私も思う。たしかにここには、私たちの知らない藤圭子の姿がある。
 

2013/10/21