日本の反知性主義1

日本の反知性主義1

2021年7月24日

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「日本の反知性主義」内田樹編 晶文社

「日本の反知性主義」というトピックにどこかで関わるものであれば、どのような書き方でもいい、というざっくりとしたやり方で、内田樹がその見識を高く評価する書き手に寄稿を依頼し、まとめた本。

面白かった。面白かったけれど、読みながら頭は混乱し、意識は様々なところに飛び、そして、まだ収集がつかない。複数の書き手それぞれがまったく違ったことを書いているのだから、そうなるのは無理からぬことでもある。だが、それと同時に、読み手である私の中にも、またそれらとはまったく違うものが膨らむのである。

内田氏がこの本を編んだ意図は、安倍政権による民主制空洞化や、橋下徹氏による独裁的地方支配などへの警鐘にある。(例の住民投票以前にこの本は出版されている。)そして、彼らの支持層に巣食う硬直的思考への啓蒙でもある。同時に、「反知性主義に陥る危険のない知識人はほとんどいない。」(ホーフスタッター)ことも強く指摘されている。

反知性主義とは何か。それぞれに筆者がそれぞれに自分なりの考えを述べているが、基本となるのはリチャード・ホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」である。

例えば反ユダヤ主義のような「陰謀史観」は反知性主義の典型である。世の中の想定外の出来事にあらゆる専門知、経験知が無力化するとき、どこかに全てをコントロールしている張本人がいると仮定することで、全ての疑問は氷解する。他者の苦しみから専一的に受益する陰謀集団を犯人と決めれば、それへの糾弾こそが問題解決の道となるのである。フランス革命における最大の受益者はユダヤ人なので、それを裏で操っていたのはユダヤ人の秘密結社であると推論しても過ちではない、としたドリュモンの「ユダヤ的フランス」は19世紀のフランス最大のベストセラーになり、後のホロコーストへとつながった。

ドリュモンが全ての悪をユダヤ人のせいにしたように、なぜこんなことが起きたのか、に対して「ずばり一言で答えること」が反知性主義には顕著である。大阪がどうかなっているのは既得権益を得ている官僚や役人が悪いからであり、あらゆる犯罪は在日外国人のせいであり、外交上の問題は中国や韓国が悪いからである。こういった極めて単純な論理に熱狂する人は多くいる。一つの敵を想定し、悪いのはみんなそいつのせいだ、としてしまえば、何事も解決は簡単である。敵を叩きのめしさえすればいいという解法のシンプルさ、明快さは極めて魅力的だ。物事は、もっと複雑で入り組んでおり、難しいからこそなかなか解決しないものであるというのに。

最近、私は世界史をちょろちょろ学んでいるのだが、人間は同じようなことを繰り返しているとなんども何度も思う。大勢の人間がいると、その中で上に立つものが出てきて、支配が始まる。支配の根源は力なのだが、必ずしも物理的な力そのものではない。神という絶対的な力を根拠にし、便利な道具を作り出し、生産を高め、武力を操る「知」こそが最終的にはモノを言う。結局一番強いのは知力なのだ。時の運に左右はされるが、最後には知力のあるものが上に立ち、得をするように、世の中は太古の昔からできている。

親たちは、子どもの教育に熱中する。知力をつけることが、良い生活につながると知っているからだ。勉強したがらない子どもにどうアドバイスしたらいいかという問に最も多く出される答えは、「ちゃんと勉強しないと将来良い収入が得られない現実を教えよ」である。いわゆる「正解」であるかどうかは別として、これこそが世間のお母さんたちの真実なのである。

だが、その一方で「真の知」に近づけるものは、極めて少ない。私たちの大抵は、イヤイヤ勉強をさせられ、うんざりしながら公式や単語を覚え、できることなら楽をして良い成績を取りたいと願い、うまいこと点数さえ上げればいいんだろ、と考える。それは、シンプルな解法を求める姿勢とリンクする。たとえば橋下徹氏が、学歴と弁護士資格を強い武器として利用しながら、学問や文化に敬意を表さず、知性や教養に敵意を示し、学者なんて気取ってるだけだと切り捨てるのは、そういう多数層がいることを知っているからだ。

ポピュリズムと批判された小泉政権は2005年の郵政解散総選挙に際し、広告会社にレポートを作成させている。

そのレポートは、国民の階層をA~D層に分類し、B層を「構造改革に肯定的でかつIQが低い層」、「具体的なことはよく分からないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」と規定している。(中略)つまり、マスコミ報道が、グローバル化や規制緩和ーすなわちネオリベラリズム政策の推進ーが良いものだと喧伝すれば、それを鵜呑みにしてよくわかりもしないのに「賛成!」を叫ぶ迂闊で知性を欠いた人々である。小泉自民党は、これを支持基盤とする綿密な戦略を立て、総選挙における大勝利を手に入れた。
 (「日本の反知性主義」内「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」白井聡)

当時の熱狂的な空気を私は覚えている。主婦の集まるネットサイトで「小泉さんが言っていることが本当に正しいかどうかはわからないけれど、ここまで応援したいと思った政治家ははじめて。だから、例え間違っていたとしても、私は彼についていこうと思う」というとある主婦の書き込みにたくさんの賛同コメントがついていくのを呆然として見ていた記憶が私にはある。あの時、私は反知性主義というものの存在に気付いたのかもしれない。ひとつの論理に拘泥し、他の広い意見に耳を傾けず、自説の正当性だけを声高に主張し、決して変化することがない態度。それは頑固親父だけの特権かと思っていたら、若者も、主婦も、同じだったのだ。

長くなるので、その2に続く

2015/6/14