猫を棄てる

2021年7月24日

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「猫を棄てる 父親について語るとき」 村上春樹 文藝春秋

 

小さくて薄い本である。村上春樹が、親との関わりを断っているらしきことはなんとなく知っていた。これは、彼が父親が亡くなる前に行われた和解の話である。佐野洋子が「シズコさん」で母との和解を書いたように、村上春樹も父との和解の物語を書いたのだな、と思った。
 
表題は、村上春樹が幼い日に父親と猫を海岸まで棄てに行ったエピソードから来ている。海岸に猫を棄て、自転車で家に帰ったら、その猫は既に家に帰り着いて二人を出迎えた。その時の、驚いたような、感心したような、ほっとしたような父親の表情が描かれている。その猫は、その後、棄てられることはなかった。
 
父親は勉強熱心な人であって、やりたいことしかやらない村上春樹との間には葛藤があった。そんな父親は戦争に三度も招集された経験を持ち、毎朝、仏像に向かい、手を合わせ熱心にお経を唱えていたという。戦争で亡くなった戦友や、当時は敵であった中国の人たちのためだと父は語っていた。そんな父の人生を語りながら、村上春樹は父という人間を理解し、受け入れ、そして和解に到達したことを文章にしたかったのだろう。
 
私も一昨年、父を亡くした。私と父との間にも葛藤があって、私はそれを永遠に解消することも、和解することもできないままである。父が私の言葉を理解できるような時期に、私は父と向き合うことを避けた。父がそれを受け止めるとは思えなかったし、わかり合うこともできないと思ったからだ。そして、父は本当に何もわからなくなり、そして、死んだ。
 
言葉でまっとうなやり取りができる内に、向き合うべきだったのか、という問いは私の中に永遠に残る。まっとうなやり取りそれ自体が、そもそもが不可能なものであった、という諦めのほうが先には立っている。けれど、この本のように、静かな和解を果たした物語を読むと、どこかで羨ましいような、自分が決して得ることのできないものを見せられたような気持ちになることは確かである。でも、もう、無理だけれど。

2020/7/29