真夏の方程式

真夏の方程式

2021年7月24日

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「真夏の方程式」 東野圭吾 文藝春秋

読もうと思っている本が何冊かある時、どうしても図書館の本を優先させてしまう。期限があるからね。購入してある本は、いつ読んでもいいので後回しになる。図書館の本を読み終えたら、購入本に行こうと思っていたのに、読み終える頃には新たに図書館から予約の本が届いてしまう。それで、また図書館本に手を伸ばす。そんなことを繰り返すうちに、購入本の山ができてしまった。図書館本の山と区別するために、購入本の方にはバムのぬいぐるみを置いている。バムちゃん山は、日に日に高くなる。

引っ越した後、バムちゃん山を平定するまでは図書館で本を借りないぞ、と決意した。(実はこの決意はあっけなく覆されちゃうんだけどさ。)そして、頑張って購入本を読むことにしたのだ。

この本は、バムちゃん山に長く積み上げられていた本だ。積んでいる間に文庫も出ちゃったのね。しかも、映画化までされているらしい。時は経つなあ。

読み終えて、うーん、と唸っていたら、夫が、「な?うーん、だろう?」と言ってきた。そうなんだよ、なんか釈然としない。こんな結末?と思ってしまうのだ。そういえば、「容疑者Xの献身」の時も似たような感想を持ったっけ。なんか違う。なんだかなあ、と思ってしまう。

誰かの幸せのために、誰かが身代わりになる。それも、喜んで。そういうシチュエーションが東野さんはお好きらしい。でも、それってなんだか違うよなあ、と思う。身代わりになってもらった方の気持ちはどうなるのよ、といつも思う。みんなはそう思わないのか。これで納得するのか。私には、わからん。

2013/5/8