教養としての「世界史」の読み方

教養としての「世界史」の読み方

2021年7月24日

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「教養としての『世界史』の読み方」本村凌二 PHP研究所

以前にも書いたように、一年半ほどかけて世界史を勉強した。それは時としてうんざりする場面もあったが、全体としてはとても面白い体験であった。世界史の学習をとにもかくにも最後までやり通したことで、世の中で起こっている出来事への解釈が、私の中で微妙に変化したのは大きな発見であった。

この本はローマ史の専門家が書いた世界史の講義書である。歴史の専門家というのは自分の専門分野に特化した研究書しか書きたがらないものだそうだ。専門家であるからこそ、他の時代に関してうっかり書いて間違ったりしたらいけないと考えるらしい。が、それを敢えて超えて、教養として世界史を語ろうとしたのだそうだ。

作者は、どうすれば「歴史に学ぶ」ことができるか、という根源的な問いかけを最初にしている。まず提示されたのは、『歴史哲学講義(ヘーゲル著・鬼頭英一訳・春秋社/上下巻)の中の言葉である。

経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史から何かを学ぶといったことは一度たりともなく、また歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない、ということです。

この引用を読んで、私は「そうだよ、そうなんだよ!!」と心から思った。世界史を勉強しながらずっと私が感じ続けてきたのも、同じことだったからだ。遠い昔から、人間は同じ失敗を何度も繰り返してきた。たくさんの悲劇を生み出しては試行錯誤し、新しいやり方を見つけたかのように見えても、また失敗に陥っていく。何度でも争いが起き、沢山の人が死に、弾圧される。規模や様態は違っていても、昔から現代に至るまで、どうして?と不思議になるほど、人間は同じ過ちを繰り返し続けている。まさしく歴史から何かを学ぶことなど一度もなかったじゃないか、とずっと思っていた。

でも、だからこそ学ぶべきなのだ、と私も思う。ほんとうの意味で歴史から何かを学ぶために、教養としてみなが知るべきなのか世界史である、と思う。過去は現代に確実につながっている。過去の失敗はただの記憶ではなく、今現在の私たちの生活にそのまま通じている。そのことを、改めて思い知る本である。

この本は7つの視点から書かれている。

1 文明はなぜ大河の畔から発祥したのか
2 ローマとの比較で見えてくる世界
3 世界では同じことが「同時」に起こる
4 なぜ人は大移動するのか
5 宗教を抜きに歴史は語れない
6 共和制から日本と西洋の違いがわかる
7 すべての歴史は「現代史」である

つくづくと感心するのだが、上記の視点はたしかに過去の歴史を振り返りながら、今現在の世界情勢を語ることにつながっている。最後の視点にあるように、すべての歴史は現代の世界の解釈になりえている。歴史を学ぶことは、今の世界を知ることでもある。

世界史を勉強してよかった。この興味深く面白い本に書かれていることを、曲がりなりにも理解できたのは、一年半の学習経験があったからこそだと嬉しく思った。逆に言えば、勉強前にこの本を読んだら、世界史をちゃんと勉強しなければ、と慌てたことだったろう。歴史は、教養である。そして、教養は私たちの人生を必ず深く豊かにするものだ。

(引用は「教養としての世界史の読み方」本村凌二 より)

2017/5/4