よい香りのする皿

よい香りのする皿

2021年7月24日

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「よい香りのする皿」 平松洋子 講談社

年末に「野蛮な読書」を読んで以来、平松さんの本を読んでみようと思っていた。そうしたら、図書館の「今日帰ってきた本」コーナーで、この本が、きらん、と光った。おお、これ、これ。

平松さんって、フードコーディネーターなんですって。知らなかった。この本には、エッセイと、レシピが72個載っている。どの料理も、あんまり手は込んでいないけれど、手抜きもしていない、きちんと大事に作ってある感じがする。

だけど、よし、明日作ろう、と思う料理は、実はあんまりない。なぜかって言うと。

諸事情あって、少し前から禁酒している。アルコールは大好きだけど、思ったほど、飲みたい飲みたい!とは思わないし、飲まなくても案外大丈夫なもんだな、と自分でも感心している。だけどね。平松さんのレシピは、どれもこれも、すごくお酒に合いそうな料理なのだ。あ、これはワインだな。これは日本酒に合いそう。これは、ビールをグーッと飲みながら。ああ、いいなあ・・・と思っちゃったのだ。だから、作れない。

平松さんは、文体がいいなあ、と思う。

 さんまを焼く。あじの干物を焼く。さばを焼く。ところどころぷっくりふくれて焦げた皮に、まわしかけた醤油がちょろりとたれる。ずしんと落ちて決まった豪快サーブさながら、香ばしさに迫力が漲っている。はっと気づいたら左手で飯茶碗をわしづかみ。やっぱり醤油はすごい。たじろぐ。
突然食べたくなり、いてもたってもおられず麻婆豆腐をつくる。気はあせるのだが、忘れちゃならないことがある。ひとつ、牛肉を炒めたあとに豆鼓と粉唐辛子をくわえ、香りをじっくり引き出すつもりで炒めること。ふたつ、仕上げにたっぷりかける花椒はあらかじめフライパンで乾煎りしてからすり鉢ですり、がつんと香りに活を入れること。あらかじめ豆腐の水切りを念入りにしておくのは、もちろん。麻婆豆腐は、キック力のある香りで勝負だ。

料理の説明に、これだけきっぱり、はっきりと根性が入っているのが、いい。料理に対する並々ならない姿勢が伝わってくる。いや、料理だけではない。どんな状況に対しても、この人は、こういう強い文体を貫く。そこが、私は好きだ。

二十二、三才の頃、彼女がしきりに作っていたという料理が紹介されていた。玉ねぎと鶏もも肉とトマト水煮を何度も重ねて塩を振り、最後ににんにくの塊とローリエを入れて、ことこと一時間ほど煮る。それだけなのに、必ず美味しいこの料理は、ボーイフレンドに振る舞う定番だったそうだ。

 おいしいおいしいとしきりに褒めて平らげてくれたけれど、いっぽうのわたしは、ほんとうをいえばすこしうしろめたい気持ちを覚えていた。
とびきり簡単で、あらかじめ仕上げて置けるから気がらくで、何度も繰り返しつくっているからぜったい失敗がなくて、かくじつにおいしい。十八番を披露したつもりだったのに、なんといえばよいのだろう、保険がいっぱいかかっている感じ。安全圏にこもって、首だけちょこんとのぞかせてびくびく脅えている感じ。つまり、こっそりと安心や見栄に逃げを打っているように思われたのだ。

この感じ、わかるわあ、と思った。なんか潔くないみたいな気がするのだ。好きな人の前で、絶対大丈夫なところしか見せない自分に、卑怯さを感じてしまう。ああ、そんな気持ち、あったなあ、忘れてたなあ、と思いだしてしまった。

平松洋子さんは、おもしろい。

(引用はすべて「よい香りのする皿」平松洋子より)

2012/1/27