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「私の息子はサルだった」佐野洋子 新潮社
椎名誠の息子、岳は「岳物語」を書かれたせいで、日本にいられなくなって、アメリカに留学した。教科書にまで載っちゃったからな。日本中の人が岳くんを知っていて、嫌味な教師にチクチクいじられたりもしたそうだし、作家を親に持って材料にされちゃうのってたまらないよな、と同情する。抗議を受けてから、シーナは岳くんのことは書かなくなったけれど、時すでに遅し、だったらしい。
佐野洋子の息子、弦くんも、ある時自分のことはもう書かないでくれと言ったそうだ。
彼女は不満そうな顔をしてしぶしぶそれを受け入れた。それからしばらく彼女が書いたものに僕が出てくることはなくなった。
もしかしたらこの「ケン」の話はその頃に書き溜めていたのかもしれない。
ノートにメモしたようなものではなく、結構な枚数の原稿用紙に佐野洋子の字がひとつひとつ埋まっていた。きっと誰かに読ませたかったのだ。
ああ、悪かったかな。そんなに書きたかったのなら、もっと書かせてやればよかったな。
ごめんよ、お母さん。
なんて絶対に思う訳がない。今もし、この話の続きを書いていたらと思うとゾッとする。
(引用は「私の息子はサルだった」あとがきのかわり 広瀬弦 より)
だとしても、弦くんはこの原稿を本にしてくれた。ありがとう、と私は彼に言いたい。佐野さんにまた会えて嬉しかったよ、と。
佐野さんは子どもを愛していることには疑いを持たないが、その愛が充分で適切であるかうろたえる。我が子が優しくないとしたら、自分の優しさが足りないのかもしれないと思うと自信がない。あんなにきっぱりはっきりあっぱれな佐野洋子が、子どもに関しては、いつまでも戸惑い、揺れ動く。そう思うと胸が詰まる。
この本を読むと、佐野さんの愛は適切不適切なんてものをはるかに超えてほとばしり、十分なんてもの以上に溢れ出て、笑っちゃうくらい真剣だ。でも、子どもはしぶしぶ、それを受け止めるんだなあ。
それでもいいや。広瀬弦くん、いいやつだと思う。本にしてくれて、ありがとう。
佐野洋子というすごい女の人がこの世にいたことを私は感謝したいし、一生、忘れない。
2015/6/10