絶対貧困

絶対貧困

2021年7月24日

「絶対貧困」 石井光太

「神の棄てた裸体]、「物乞う仏陀」(どちらも 石井光太 作)などが、あまりにも痛いルポばかりだったので、読むのに勇気が必要な石井さんの新作です。

夫経由で手に入った本。どうだった?と聞くと、うーん、と唸るのは前と同じ。だけど、なんだか客観的過ぎて、今までの作品みたいに、「こんなことがあるのか!」とぐっさり刺されるような痛みがなくて、力がない、と。

そもそも、この本は「講義」として書かれており、年若い学生に、世界のリアルな貧困の実態を知らしめる目的を持っています。「スラム編」「路上生活編」「売春編」の三項目から、石井さんが自分の足を使い、目と耳で確かめてきた事実だけを淡々と分かりやすく説明しています。

いや、これはこれなりに、力はあるで。と、私は思いました。確かに、今までの石井さんの作品を思えば、すごくトーンダウンしてるけれど、逆に言ってしまうと、今までの作品は、あまりにも身に迫り、心と体を痛めつけ、ただただ逃げ出したくなるものが多かったように思います。この本くらい、距離を取らないと、飽食日本の、まるで世界中のことが分かっているかのように錯覚している頭でっかちの私たちには、むしろ伝わらないのかもしれません。

それにしても、私たちは、いったい、貧困の、何を知っていたと言うのだろう、と思ってしまいます。

ここから言えるのは、今はもう途上国の貧困の問題を「遠い国の出来事」として片付けられる時代ではないということです。良い意味でも悪い意味でも、途上国で起きていることは、そのまま私たちの安全や経済や政治に影響を与えるのです。それがグローバルゼーションということなのです。
今後、世界のグローバル化はますます加速していくはずです。そのときに大切なのは、海外での出来事を自分たちのこととして考えることです。「遠い国の出来事」としてみてみぬふりをするのではなく、わが身に降りかかってくる問題として受け止め、行動をしていくことです。それが、これからの時代を生きる私たちの義務なのです。
ただ、そのためには海外の貧困地域の生活や、現地で起きている問題がどういうものかということを知らなければなりません。それを学んではじめてさらに先のことを考えられるようになるのです。
(「絶対貧困」 石井光太 より引用)

なんだか当たり障りのない部分を引用してしまったかのように見えるかもしれないけれど。でも、実はここが大事なのだ、と私は読み終えて思いました。世界のほぼ五人にひとりがいわゆる貧困にあえいでいる今現在、少なくとも食べるもの住むところに不自由せずに住んでいる大多数の日本人は、本当の絶対的な貧困とはどういうものなのか、貧困が、いかに人を絶望させ、残酷に追い込むものなのかを、どこかで知っておくべきではないでしょうか。痛くて苦しくて、怖いこの現実を、きちんとわかっておく必要があるのではないでしょうか。

ストリートチルドレンが、何日も食べ物を口にしていなくて、やっと収入を得たら、それで食糧を買わずに、シンナーを買って吸引、陶酔していたというエピソードが、私には衝撃でした。

人は、心の痛みを、それほどまでに恐れるのです。自分という存在を、肉体ではなく、心で支えるのです。どんなに教育があり、裕福でも、貧しく、無知であっても、心が満たされていない状態に、変わりはない。同じです。片方に価値があるなんてことはありません。自分を自分で支えられず、他者の受容無しに生きていられず、何かに頼るしかないのであるのなら、同じです。

ストリートチルドレンの少年が、僅かな収入をシンナーに換えて、それによってひと時の安らぎを手に入れることと、何か大きな権威に認証され、誰からもすごいといってもらえるような称号を手に入れようと必死になる先進国の少年は、実は同じものを求めて、同じようなことをしているだけなのかもしれません。どちらも、ほしいのは、ひと時の安心感、自分は大丈夫だと言う錯覚なのかも知れません。

高校生くらいの若い人たちが、たとえばこの本を夏休みに読んだら、どんな感想文を書くのだろう。そんなことを、知りたくなりました。まあ、書く人はいないだろうなあ・・・・。

2009/8/6