自転車ぎこぎこ

自転車ぎこぎこ

2021年7月24日

「自転車ぎこぎこ」 伊藤礼 平凡社

以前に、この本の前編の「こぐこぐ自転車」を読んだこともあるけれど、こっちの方が、さらに面白かったので、ご紹介。
七十過ぎた、元大学の先生のご老人が、自転車であちこち旅行して回る話。
ちなみに、この方、伊藤整のご子息。

この人は、やってることも面白いけれど、文章が実に良い、と思う。客観性に富んだ深いユーモアがある。あざとくないのに、うふふ、と不覚にも笑ってしまうような、落ち着いた笑いがある。年を取るとはあなどれないものだ、と思う。こういう深みは、若造にはなかなか出せないよ。

老人で時間があるから、ときどき自転車旅行をする。山形に行ったり、富山に行ったり、四国に行ったり、北海道にも行ったりした。静岡にも行ったし、千葉にも茨城にも栃木にも行った。福島にも行ったし秋田にも行った。いつの間にか行ったところが増えてきた。
こんなに出かけるのは年をとっているから、まもなく確実に死ぬと思うからだ。生きていてもヨボヨボになってしまう。今を逃したら自転車に跨がれなくなるからである。私は友人たちに今がいちばん若いんだぞと声をかける。そしてすこしでも若い今のうちに、行けるだけ行こうと誘う。
(「自転車ぎこぎこ」伊藤礼 より引用)

私は、この「今がいちばん若いんだぞ」に、結構胸打たれてしまった。そうなんだ。今が、いちばん若いんだ。いつになったって、今がいちばん若くて、これからもっと年を取っていくんだな、とわかってしまった。これって、実は、すごい真実だ。

自転車で走っている状態の人間というのはいったい何を考えているのであろうか。
この疑問を解決するために私は実際に自転車に跨ったとき、いま自分はなにを考えているのだろうかと考えてみた。そうすると、当然のことながら、「自転車に跨った私はいまなにを考えているのか」と考えていることがわかったのであった。「おれはいまなにを考えながらペダルをこいでいるのであろうか」と考えながら走っているということを私はしっかり認識したのであった。はじめはそのこと一点張り、おなじことの堂々めぐりだった。これでは仕方ない。具体的な成果を得ることはできなかった。
(「自転車ぎこぎこ」伊藤礼 より引用)

・・・・これはねえ。幼少期の私にとって、常に問題だったことなのですよ。「モノを考えるってどういうコトだろう」という疑問にとらわれると、今、自分が考えている状態はどういうコトだろう、ってことは、ものを考えているってどういうコトだろうと考えていることってどういうコトだろう。・・・・って、考えているってことは、どういうことだろう・・・・と、いつまでも、いつまでも、順繰りに考えてしまうのですよ。そうやって、幼い私は、くったくたになって、気づいたら眠ってしまう、というのを、夜な夜なやっていたわけですね。それを、いきなり思い出して、なんか楽しかったです。

そもそも、この作者、肝臓が悪くて、六十過ぎまで、いつも土気色の顔をして、ぐったり、寝込んだりしながら、なんとか生き抜いてきたのに、科学の進歩とは素晴らしいもので、その肝臓がよくなってしまった・・・処から、恐る恐る自転車に乗り始めたという。最初は、五、六キロがやっと、から初めて、今じゃ日本中走り回ってる。虚弱体質の癖に。

と、まあ、そんなわけで、最近、私も筋トレなんかやってるし、七十過ぎたら、軽量折りたたみ自転車を担いで、全国走りまわってもいいかな、なんて。
できるかねえ。

2010/6/25