夫の後始末

夫の後始末

2021年7月24日

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「夫の後始末」曽野綾子 講談社

正直な話、曽野綾子女史の独善的な態度は、あんまり好きじゃない。この本だって取り立てて読もうとは思っていなかった。じゃあ、なぜ読んだかというと、母のせいである。

昨年末に、父をグループホームに入れた。独裁者の父が認知症を発症して以来、母は介護に振り回され続け、一度は倒れて救急車で運ばれた。このままでは共倒れだと考え、いくつものホームを見学して回り、最も父に向いているであろうホームにご縁があって入れていただけることになった。そこに至るまでは、まさしくてんやわんやであった。

母は、自分さえ頑張れば、なんとかなると考えていたらしい。が、父をホームに入れてしばらくしたときに、あのままでいたら、わたし今頃死んでいたかも、とぽつりと言った。実はそのときにはすでに無理が来ていたのであって、5月始めに母はまた倒れて救急車で運ばれ、半月以上入院もした。父のホーム入居は、ぎりぎり間に合ったと言うか、むしろ間に合わなかったほどの決断であったと私は思っている。

そんな母だが、この本の新聞広告だか書評だかを読んだらしい。「曽野綾子さんは、最後までご主人を介護し尽くしたのよ」「介護って排泄物の世話のことだって曽野綾子さんも書いてるらしいわ」「私は頑張りが足りなかったのかしらね」などとこぼすのである。ちなみに、父の介護の後半戦は、まさしく排泄物との戦いであって、八十をとっくに超えた母が一人で太刀打ちできるような状態ではなくなっていた、と私はきっぱりと思う。

曽野綾子が何を言おうが、我が家の判断は我が家の判断であり、母に限界が来ていたことは間違いがなく、曽野綾子が介護を完遂しようが、母が後ろめたく思う必要はまったくない。おのれ曽野綾子、何を書いたのか、と私は仇のようにこの本を読んだのである。

曽野綾子は強気である。きっぱりはっきりしている。たぶん、介護も頑張ったのであろう。この決然とした本はあっぱれであると、私も思う。思うのだが、これを読んだとて、母が罪悪感を持つ要素などどこにもないのである。

曽野綾子の夫、三浦朱門は、我が父のような独裁者ではなく、妻が常にかしずいていないと怒り出すような人間ではなく、一人で寝ることもできれば、本を読むこともでき、自己主張激しい妻を容認できる人でもあった。比べてどうする、と思うのである。

八十を超えて決然と介護をされた曽野綾子あっぱれ、とは思う。だが、ヘルパーさんを頼み、仕事をしつつの介護であった。当たり前だ。八十の腕力が、夫の体を支えられるか。それだけの経済力が誰にでもあるか。

以前に佐藤愛子の「九十歳。何がめでたい」でも感じ、この本でも感じたことだが、結局の所、読者は本の中に書かれてあることだけで感動しているのではない。その年齢の女性作家が、その状況の中でそういう言葉を発する、その全てに打たれるのである。文章そのもの、内容そのものが問題ではなく、その作家の背負っているすべてを受け取って、感じ入るのである。

曽野綾子は「私が」と書く。それは、曽野綾子の経験であって、誰もがそうすべきだ、とは書いていない。だが、母は、「私もそうすればよかったのでは」と思うらしい。思ったところで、母は曽野綾子ではないし、佐藤愛子でもないし、父も三浦朱門ではない。ただ、曽野綾子の文体って「私は正しい」「私の意見こそが正義である」という力がみなぎっている、ようなところがある。たぶん、私がこの人の文章を好きになれないのは、そういうところだ。

いずれにせよ、母は後ろめたく思わずともよい、という結論は出た。この本を読んで得たことはそれである。後は、日野原先生が、死を直前にした老人に対しては「胃ろうはするな、気管切開はするな、余計な点滴はするな」と曽野綾子に教えた、ということだけは覚えておくつもりである。曽野綾子、このことを何度も新鮮に書いていたが、同じことを繰り返していたという自覚はあるのだろうか。

2018/6/6