負けんとき

負けんとき

2021年7月24日

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「「負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々」上下
玉岡かおる 新潮社

建築家にして、メンソレータム近江兄弟社の創立者の一人、戦後はマッカーサーと近衛文麿の仲介工作をして、天皇を守ったとされる人物、メレル・ヴォーリズの妻である一柳満喜子の生涯を描いた物語。

関西に来てから、ヴォーリズの建築物をいくつか見た。どれも、その建物を使う人を暖かく包み込むような、人柄の感じられる建物だった。神戸女学院のホールでは、マイク無しでも壇上の人の声が通る音響効果にも感心した。内田樹は、建物には、ヴォーリズのメッセージが込められている、という。近江八幡市で見た古い郵便局後の建物からも、どこかに気持ちが込められていル用に感じられたものだった。

たぶん、ヴォーリズという人は、とてもあたたかく誠実な人だったのだろう、と建物を見るだけで、伝わってくる。それは凄いことだ。

というわけで、この本も、ヴォーリズという人に近づきたい思いから、読んだのであった。

しかし、読むのには苦労した。何故だろう。

一柳満喜子は、華族の娘でありながら、華族学校に入らず、官立女子高等師範学校に学んだ。卒業してからは、神戸女学院音楽科の第一期生として音楽を学び、さらには、アメリカに留学も果たした。ヴォーリズに出会ったのは、三十歳を過ぎてからであり、華族が外国人と結婚するためには、多くの障害があった。それを乗り越えて、彼らは支えあい、素晴らしい夫婦として生涯を全うした。

いいお話なのに、読みにくかった。とりわけ、上巻が苦しかった。たぶん、一人称の、感情に沿った文体がダメだったのだろう、と読み終えて思った。評伝として、もっと外側から描き出したら、違ったものになっただろう。主人公の内面に入り込み、本人として物語が進行するゆえに、入り込みにくいものがあった、としか思えない。

ところどころ、神戸女学院や、三田の九鬼氏の話題が出てくるので、おお、これ、知ってる知ってる、という興味でかろうじて読み進められた。下巻は、ヴォーリズ氏が登場以後、かなり読みやすくなったのだが。

それにしても、ヴォーリズも一柳満喜子も、素晴らしい人達だったのだと思う。誠実に、丁寧に人と関わり、生きてきたのだと思う。それを知ることができたのは、良いことであった。

2012/8/24