年末の散歩の話です。12月23日だったかな。
「三田」は、「みた」じゃありません。「さんだ」と読みます。兵庫県の市です。白洲次郎の祖父は、三田藩士だったそうです。
我が家からはJRに乗って30分程度の場所です。そこに、旧九鬼家住宅という、建物オタクにはちょっと興味深い古い住宅があるのです。
クリスマスの三連休、おちびは部活三昧でした。どこにも行かないのはつまんないから、お出かけしようか、と夫婦二人で三田を目指しました。寒そうだから、とダウンを着込んだら、これが正解でした。寒い寒い一日だったのです。
三田の駅から歩いて十分程度のところに、旧九鬼家住宅はありました。
旧九鬼住宅は、三田藩の最後の家老、九鬼隆範が設計した建物で、兵庫県の重要有形文化財に指定されています。
中に入ると、係の年配の男性が一人いらして、「さあさあ、どうぞおあがりください」と親切に迎えて下さいました。そして、つききりで丁寧に説明しながら案内してくれました。
九鬼隆範は勝海舟の開いた神戸の海軍塾の塾生だったそうで、維新後は鉄道技師として活躍したそうです。全国を飛び回って、ほとんどここには老後しか住まなかったと思いますよ、とのことでした。
ここは、擬洋風建築といって、一階は和風ですが、二階は洋風の造りになっています。
戦後も、所有者がずっと住み続けていましたが、古くなったので、敷地の一部に新築して、古い建物は三田市に寄付されたそうです。寄付を受けた三田市は、一度建物をすべて解体し、免震構造を加え、建て直したのです。道理で、古い建物なのに、とてもきれいでしっかりとした印象がありました。
明治初期の建築なのに、内部に雪隠が三箇所も作られていて、なかなか先見の明を感じます。二階は年に数回しか公開しないとのことで、内部は見ることができませんでしたが、洋間でありながら、畳敷きなんだそうです。
おそらく、大勢来たときに、座布団さえ敷けば何人でも入れるからじゃないでしょうか、と係の方は解説されていました。なるほどね。
通常、屋根瓦は、右に桟があるのだそうですが、ここは、左桟瓦が使われています。なぜだかは、わからないんですって。
三田の九鬼家は、元々は鳥羽の九鬼水軍です。家光が、水軍を海べりに置くことを恐れて、九鬼家を三田と綾部の二箇所に分けて移封したそうです。そのあたりの歴史も調べてみるとさらに面白そうですね。
住宅の見学は大変面白かったのですが、板張りの床を、靴下だけで歩きまわって、すっかり足が冷え切ってしまいました。
その2に続く
2012/1/5