蜜柑の家の詩人

蜜柑の家の詩人

2021年7月24日

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「蜜柑の家の詩人 茨木のり子ー詩と人と」蘇芳のり子 せりか書房

 

茨木のり子を熱心に読んだのは、学生時代だった。それ以降も、折にふれて読むことはあったし、「自分の感受性くらい」や「わたしが一番きれいだったとき」は、いつだって心のなかにずっしりとあった。数年前、世田谷文学館で茨木のり子展が開かれたときに見に行ったりもしたものである。が、それにしても久しぶりに茨木のり子に触れた、と思った。
 
県立図書館の新刊本のコーナーにこの本があって、何しろ厚くて重そうで、著者の名前も知らなくて一瞬躊躇したのだが、この本を買うことは絶対ないだろうし、今見逃したら一生読まないな、と思って借りることにした。茨木のり子と個人的に関わりのあった著者はご近所さんでもあったらしく、ご自分の思い出話と詩についての深い考察と、他の文学者との関わりなどが交互に登場して、章分けもあまりはっきりしておらず、読み通すのに苦労してしまった。が、やはり久しぶりの、詩人茨木のり子との邂逅はしみじみと懐かしくみずみずしいものであった。
 
茨木のり子が金子光晴に傾倒していたことは知っていた。それについてこの本の分析は興味深いものであった。
 
 詩人の詩篇「自分の感受性くらい」・「倚りかからず」の二篇には、〈怒の声〉が響いているようだ。その〈怒の声〉には、金子光晴の詩作品から聴こえる〈怒の声〉の跡が基底に刻まれていると思われる。なぜ「自分の感受性くらい」なのか。なぜ「倚りかからず」なのか。その問いは、茨木のり子が金子光晴の詩から読み取ったものを考えることによってはじめてひとつの答を得ることができるのではないか。
 茨木のり子は、金子光晴の詩の「怒りの感情」について次のように書いている。
 
 つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、(省略)「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
「寂しさの歌」(金子光晴)はその題名にもかかわらず、全体を支えているのは憤怒に近い怒りの感情で、それがきわだった特徴です。〈省略〉さまざまな怒りはこの世に充満していますが、それを白熱化し、鍛え、詩として結晶化できているものは、多くの人の努力にもかかわらず現在でも至って数は乏しいのです。遺伝的体質かもしれません。
 
そして、「怒」の部門が非常に弱いのは「近代的自我」の発露とかかかわりがある、と作者は指摘する。「この戦争がおかしいってことが見えた人。私の身近では、それが金子光晴さん、それから女優の山本安英さんです。」と茨木のり子は語ったという。金子光晴の強烈な自我は、イデオロギイや衆頼みや権威のつっかえ棒ではなく「自己の感受性」こそが真の支えだったと指摘していたという。
 
詩人茨木のり子は「自我」を支えとして行動することこそ、抵抗という困難な在り方を可能にするという信念を持っていた。それは「自我」を「自我」として発露させることの叶わなかった詩人自身に対する内省から生まれた信念だと言える。したがって詩人の詩における〈怒の声〉は〈外部への声〉は強いが、内省的な声でもある。
 
このあたりを読んでいて、私は突然、今の社会におけるどうしようもなさー深い考察も将来への展望も真理追求の姿勢も持たず、ただただ見てくれを整えることに夢中になり、嘘を付き、間違いを隠し、思い通りにことを捻じ曲げようとする政治の在り方ーに対して、私達は一体どれだけの近代的自我を持って抵抗しようとしているのか、という、なんとも重苦しくやるせない問題に突き当たった気持ちになってしまった。
 
茨木のり子の詩は、あくまでも内省的に私の内側に問いかけ、響き渡る。それは、責めたり非難したりする声ではなく、もっと内側の、私自身の存在というものに問いかける、深い声なのである。
 
金子光晴と、茨木のり子を、もう一度読み返したい、と思った。
 
 
          (引用はすべて「蜜柑の家の詩人 茨木のり子ー詩と人と」より)

2020/2/21