評伝

2021年7月24日

90
        『評伝ナンシー関 「心に一人のナンシーを」
                   横田増生  朝日新聞出版

ナンシー関の開けた穴は、誰も塞げない。ナンシーがなくなって、もう十年にもなるのだなあ。ナンシーの書くものを読めないことには、もう慣れてしまった。でも、ものすごく大きなものを失ったのだと、未だに思う。あんなに好きだった雑誌読みを、私はぱったりとやめてしまった。ナンシーの連載のない週刊誌の、なんと味気ないこと。テレビを見ていて、あ、ナンシーならこれをどう表現するのだろう、とわくわくした、あの感じ。それを、私は、もう二度と取り戻せないのだ。

この本は、ナンシーを知る人達へのインタビューを中心に、彼女の書き残したものを丁寧に読み解きながら、ナンシー関とはどんな人だったのかを掘り起こしている。私は、読みながら、何度も泣きたくなった。ナンシー、あなたがいなくて、私は寂しいよ。

売れっ子作家である宮部みゆきに、時間を取らせることを恐縮しながら、もしかしたら、もう忘れているかもしれないから、と宮部が解説を書いたナンシー関の本を送付すると同時に、作者は、インタビューを恐る恐る申し込んだ。即座に快諾を得、さらに、送られた本は、全て蔵書が大事に保管してあるものなので、お返ししたい、と申し出があったという。

宮部みゆきの語るナンシー関の話は、感動的でさえあった。あの売れっ子の、大作家である宮部みゆきが、どんなにナンシー関を尊敬していたのか、ナンシーの言葉を心の支えに、頑張ってきたのか。

ナンシー関は、自分を「規格外」と呼んだ。宮部みゆきは、自分もそれは同じだ、と語る。異邦人としての自分のあり方と、規格外としてのナンシー関のあり方は、とても近かった、という。

宮部みゆきは、常に胸に刻んでいるナンシーの言葉があるという。
「それでいいのか。後悔はしないのか。」
泥臭く汗臭く粘着質なイメージを持っていた武田鉄矢が、「101回目のプロポーズ」のあと、イメージチェンジを果たし、CMで「ほろにが」と小首をかしげてささやいてみせた。そのことにナンシーが苦言を呈した文章である。

宮部みゆきは、こう語る。

「作品を書き上げたときや、新しい作品にとりかかるとき、また文学賞の審査員のような役割を引き受けるようなときなど、容易に決めていないか、周りに流されていないか、と確認する意味で、自分に言い聞かせるようにしているんです。『それでいいのか。後悔はしないのか。』って。私にとっては、”こんなもんでよかんべイズム”に陥らないようにするためのおまじないのようなものです」

私も、この言葉を覚えていた。この文章の締めくくりの潔さ、強さを覚えていた。いや、このフレーズだけでなく、以後、この本のあちこちに出てくるナンシーの残した文章のきっぷの良さ、断ち切りの良さに、どれだけ私は惚れ込み、圧倒されていたかを再確認した。

覚えているのだ。文章そのものを、ああ、そうだった、ここで、そう言い放ったのだ、彼女は、と、ありありと思い出せるのだ。ナンシー関の書く文章とは、そういうものだった。たかがテレビ評論というなかれ。そこにあったのは、強烈な人生観、思想、哲学であった。私は、彼女の、ものの見方、存在の仕方そのものに、圧倒され、感動し続けていたのだ。

宮部みゆきは、ナンシーが亡くなったと聞いて、心細くなり、途方に暮れたという。その気持ちが、私には痛切にわかる。私も、ナンシーの訃報を聞いたとき、どうしよう・・と不安になった。もう、ナンシーの書く文章が読めない、ナンシーの掘る消しゴム版画が見られない。それは、大事な羅針盤をひとつなくすくらい、恐ろしく強烈な喪失感だった。

ナンシー関は、徹底して客観する目を持った人だった。権威や、関係性に左右されない、ただのTVを見る人としての、突き放した視線を持つ人だった。彼女に書かれて、擦り寄ろうとした人たちを、あっさりと切り捨て、決して近寄ろうとはしなかった。

ナンシー関は、自分自身に対しても、同じように突き放した視線を持っていた。宮部みゆきが、家族を持たない、恋愛を語らない、自分は異邦人である、と表現していたが、ナンシーもまた、自身のプライベートな生活を語らず、恋愛を拒絶し、ひたすら仕事にストイックで在り続けた。

この作者は、ナンシーの姿勢の原因のひとつを、彼女の容姿に求めている。そして、そのことは、ある作家の、ナンシーに対する冒涜である、という批判を呼んでいるらしい。なるほど、彼女が太っていたから、恋愛ができなかったから、だからあそこまで強烈なものが書けたのだ、という指摘は、極めて失礼なものであり、冒涜であるかもしれない。

だが、私は同時に思う。ナンシー関は、自分を遠くから見ていた。太っている自分を、うんとうんと遠ざけて、客観的に見ることで、自分を守り続けた、のではないか、と。冒涜ではなく、おへちゃ組の一人として、そう思うのである。容姿で勝負することを、最初から降りる人間の気持ちが、わからんでもない、私としては。

ナンシーは、亡くなる数年前から、短い距離を歩くだけで息切れし、苦痛を訴えるようになっていたという。太り方も尋常ではなかった。三年という期間をかけて、免許をとったのも、歩くことから放免されたいがためだったのかもしれない。おそらく、ずいぶん前から、彼女の健康は、かなり悪化しつつあったはずだ。しかし、彼女は、一度足りとも、健康診断を受けたり、医者に行ったりはしなかったという。ジムに通うことを薦めた人間に、自分のからだは、医者に通うレベルだから、ジムくらいではどうにもならない、といいながら、医者にかかることはなかったという。

医者に行けば、必ず、太っていることを指摘され、事態の改善を求められる。ナンシーは、それがわかっていたから、行かなかったのだろう。太っている自分を我がことのように見ようとはしなかった。遠くから、『太っている私』を苦笑しながら見るだけだった。

もし、彼女にはっきりとものを言える家族がいたら。誰よりもその存在が大事だからこそ、厳しいことを言える人がいたら。そして、この人のために、健康でいなければならない、と思える相手がいたのなら。

と、わたしは今更ながらに思う。少しでも早く、医者にかかっていたら、あの急死は防げたかもしれない。もう少し、連載の数は減り、仕事のペースが落ちたとしても、今でも、ナンシーの生きのいい文章を読めていたかもしれない。

「いつも心に一人のナンシーを」と言ったのは、大月隆寛である。自分の行動に、自分でツッコミを入れて、本当にそれでいいのか?と考える。みんな、心に一人のナンシーを持っていたいよね、と彼はいうのだ。

私の心のなかには、ナンシーがいる。それでいいのか、とナンシーは聞く。そうだ。宮部みゆきの言葉を読んで、私は本当にびっくりしたのだ。私と同じじゃないか。私も、ナンシーの言葉を胸に刻んでいる。気が付かないほど、当たり前に、私の中に、ナンシーは染み込んでいる。

本当に、惜しい人を、私達は失った。十年たった今も、彼女はまったく色褪せない。今、ナンシーが生きていたら・・と、私は、ずっとずっと思い続けるだろう。

             (引用は「評伝 ナンシー関」横田増生 より)

2012/8/23