大人のアスペルガーがわかる

大人のアスペルガーがわかる

2021年7月24日

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「大人のアスペルガーがわかる 他人の気持ちを想像できない人たち」

梅永雄二 朝日新聞社

アスペルガー症候群について、以前からちょいちょい文献を探したりはしていた。が、だいたいそういった本は子どもの発達障害についての本が中心で、ごく普通に社会生活を送っている(かのように見える)人が、実はアスペルガーなのではないか、と疑われる時に、それを検証できるような内容のものがなかなか見つからなかった。この本も、その目的に完全に合致しているわけではないが、思いがけない細かい症例などで、あっ!と思う発見がいくつもあった。そして、やはりおそらくあの人はアスペルガーなのだなあ、と思うに至った。

長きに渡って、その人との関わりに悩んできた私にとって、その人がアスペルガーだとある程度判明することは、いろいろな点で非常に役に立つ。つまり、それは、ある意味どうしようもないことであるし、悪意や怠惰によるものでもない。そして理解し合えないことを受け入れるところから出発するしかない、と改めて納得できるからである。

日本語が通じないのではないかと思うほどに、こちらの意思や気持ちが全く理解されないことや、その人の都合だけが強力に主張され、それを受け入れないのがまるで極悪であるかのように非難されること、場を凍りつかせるような思いやりのない言葉を口にして全く悪びれないこと、周囲をすべて思い通りに動かせないと怒り狂ったり、パニックに陥ること、それでいて非常に小心で臆病でもあること。それは、単なる「性格」で済ませられるものではなかったのだ。

それ以外にも、例えば、甲高い声に気持ちをかき乱されて耐えられないことや、いろいろな音が重なると必要な情報を聞き取れないこと、偏食で決まったものばかり食べること、異様に寒がりなこと、なにかに熱中したり集中すると他のことが目に入らなかったり、数字や作表にこだわったり、柔軟性に欠けたり、冗談が通じなかったり、物事を○か×でしか見分けない、あるいは0か100でしか受け取らないこと・・・。

例えば私がウサイン・ボルトのように早く走れと言われても無理であるように、その人にとっては、他者の気持ちを推し量れ、人の表情を読め、場にふさわしい発言をしろ、やかましい中でも何事かを行なえと言われても、無理だということだ。努力でどうにかなるものではない。訓練によって、ある程度の適応ができたとしても、本質が変わるわけではなく、ただ、表面上出来ているかのように振る舞えるようになるだけのことなのである。

と理解することで、私は無用に傷つくことも避けることが出来たはずだし、互いに困らないような対応もできたはずだ。今更ながらといえばそれまでだが、わからないよりは、わかったほうがいい、どんなに遅くとも。

その人の本質は、真面目で、一生懸命で、正直な心である、と私は知っている。知っているけれど、側にいることは困難であったし、苦しくもあった、傷つくことも多々あった。が、そこから学んだことだってあるはずだ。ということを、私は今、振り返っている。そしてまた、同じような人が、他にもいることにも気づいている。そういう人たちに、悪意や憎しみなどをできる限り持たずに、まっすぐ理解できる自分であれたらどんなにいいだろう、と思っている。

それにしても、思いやりを持ちましょう、人の気持ちを理解するようにしましょう、と子どもに教えることは、一体どういうことなのだろう、と考え込んでしまう。それが、無理な人達もいる。訓練で、知識として覚えていく事はできるのだろうけれど。いや、それから、私自身は、そんなふうに偉そうに言えるほど、他者の気持ちに敏感なのか、人の気持ちを思いやるような寛容さをどれほど持ち合わせているというのか。

人はみな、少しずつ偏っているし、得手不得手もある。互いの凸凹を理解し合い、受け入れあって、しょうがないことはしょうがないねと苦笑しあって、なんとかすり合わせて生きていけたら、それでいいのかもしれない。人に多くを求められるほど、私は完全な人間ではない。あたり前のことだけれど。
2018/7/20