鬱屈精神科医、占いにすがる

2021年7月24日

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「鬱屈精神科医、占いにすがる」春日武彦 太田出版

「野の医者は笑う」の直後に読んだので、似たようなテイストじゃないかと勝手に思っていたら、全然違った。春日武彦は、結構何冊も本を出していて、何やらぶつぶつと文句をいう芸風の人だ、と思っていたが、今回は私の嫌いな小谷野敦みたいでかなりうんざりした。それでも読み終えてしまったのは、まあ、いろいろ、最近考え込んでいることにリンクする話題だったことは間違いないわけで。

筆者は不幸で不全感に苛まれているんだそうだ。精神科医として働きつつ、それを売りに著作もものにし、妻もいる、家もある、地位もある。だのに、根拠の無い自信が失われつつあるらしい。自分の本がなぜこの程度にしか評価されないのかと腹立たしくおもう一方では、自分なんてそんなもんだとも思い、世間でもてはやされる書籍を読んではこんなものが評価されるのになぜ・・・と怒りに燃える。同業医師にカウンセリングを頼むのはプライドが許さず、自分で自分を診るのは、脳外科医が自分の脳を手術できないのと同じだという。なんだかんだで占いにすがる、のである。

私は、占いにすがった内容とか、それに対する感想の本だと思ってたのだけれど、違ったのね。とどのつまりは、作者の不全感がどこから来るのか、をつらつらと自己分析し、占いにすがるということは自分の弱さを認めることだと気が付いたりする、その心情を文学的(?)に描いている。ものすごく持って回った言い方をしているけれど、結局、この人は、お母さんに認めてもらいたかった、愛されたかった、でも、死んじゃったからそれは永遠にかなわない望みである、と気がついているというお話で。

精神科医なら、そんなケースはいくらでも見てきただろうし、自分でも前から薄々はわかっていたのだろうけれど、人って自分のことは見えないもんだからなあ。子ども時代に母に十分に愛された記憶が無いこと、それを渇望していたことは、いくつになっても人を苛むものだと改めて思う。

いや本当に。最近、ごくごく身近にその事例を見つけてしまって、困惑している私である。問題は複雑に入り組んでいるように見えて、結局のところは、「お母さんに認めてもらいたい、愛されたい」だけなのである。その願いが永遠にかなわないまま、ずっとそれを抱え続けて老いてしまった人を、もはや誰も癒やすことはできないのだろうか?と痛々しく思う今日このごろである。本人はどうしてもその問題を直視しないのね。認めたくないのだろうし、思いもよらない、のかもしれない。こちらもそれに気づかせたからどうということもなかろうと思ってしまうし。この本の作者も同じようなものなのだろうなあ、と思うと他人事とも思えず、途中で読みやめられなかった。そういうわけなのだ。

人間って欲張りだ。能力があって、それを発揮する場があって、ある程度認められていて、富も地位も得て、それでも足りない足りないと不幸がる。逆に、そんなもの何も持たないでも、ちっとも不幸だと思わない人もいる。幸せってなんだろうね、と極めて根本的な問に立ち戻ってしまう私である。

それにしても、この本は、読んでて幸せになれそうにもなかった。だからあんまり売れないんだよ、きっと。ねえ、春日先生。

2016/6/7