龍馬からの手紙

龍馬からの手紙

2021年7月24日

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「爆笑問題が読む 龍馬からの手紙」爆笑問題 祥伝社文庫

世間の人たちほど、私は坂本龍馬ファンではない。って、私のいう「世間の人たち」が、どの程度あたってるのかどうかは定かじゃないんだけど。龍馬って、そんなにすっごくいい男だったのかな。福山雅治と勘違いしてんじゃないの、とか、ちょっと思っちゃう天邪鬼な私。司馬遼太郎の「竜馬が行く」は読んだし、そりゃ、かっこいいな、とも思ったけど。でも、あれは、司馬さんが作り上げた竜馬だからね。本物の坂本龍馬じゃないからね、とずっと思ってきた。

龍馬の手紙がたくさん残されているのは知っていたけれど、そういうわけで龍馬ファンじゃない私は、ちゃんと読んだことがなかった。この本には九通しか載っていない。でも、なかなかいいセレクトだったのかも。それとも、竜馬はこんな面白い手紙をもっとたくさん書いていたのだろうか。

思ったよりも、龍馬は、ずっと率直で、それから、他者をちゃんと尊重して、そして、自分の考えに固執せず、人の意見を尊重して耳を傾ける度量のある人だったんだな、と改めて思った。司馬さんの描く竜馬じゃなくて、手紙の中にいる龍馬を見て、そう思えたのは、なかなかよかった。

太田光は、龍馬が好きらしい。でも、なんだかんだで、すぐ話題を自分の方へ引っ張っていってしまう。まあ、いいんだけどさ、爆笑問題の本なんだから。手紙一通につき、爆笑問題の会話というかやり取りがあって、その後に歴史的注釈がつき、そして、最後に「幕末用誤辞典」がある。私は、この「誤」に気づかなくて、最初、大真面目て読んでしまった。

蛤御門の変の解説で

 1834年(元治元年)、長州藩が京都へ出兵し、京都守護職と戦って敗れた事件。禁門の変。蛤御門は京都御所西側にある門。そこをっくぐるとアサリ門。さらにくぐるとシジミ門と、だんだん小さくなる。両隣はサザエ門とホタテ門。

とあるのを、「へー、そうなんだ。」と、私はそのまんま信じてしまったのだ。だって、昔のお城の門って、変な名前が案外多いんだもの。ところが、亀山社中の項目で

 龍馬が亀山に作った総合商社。社中は、会社や結社の意だが、そういう概念のない時期に作ったことは評価される。のち「海援隊」の母体となった。他に、くりぃむで作られた「くりぃむしゃちゅ~」もある。

で、おや?となり、「桂小五郎」の

 落語家。高校卒業後、桂三枝に弟子入り。前座名は五枝、二つ目昇進時に小五郎と名乗る。本名は木戸孝允。

で、やっと気づいた。

遊ぶんじゃねえや、爆笑問題。危うく信じるところだった、お馬鹿な私。

(引用はすべて「爆笑問題が読む龍馬からの手紙」爆笑問題 より)

2012/5/4