100万回だってよみがえる

100万回だってよみがえる

2021年7月24日

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「文藝別冊 佐野洋子追悼総特集
100万回だってよみがえる」
   河出書房新社

佐野さんが、好きだった。あんまり好きだから、彼女が余命宣告を受けたと知ったときは、身内がそうなったかのように、打ちのめされてしまった。でも、それから、佐野さんは、ずいぶんと長く生きた。とてもかっこよく、余生を生きていらした。亡くなったとき、私は、悲しかったけれど、なんと素敵な最期だったのだろうと、天晴な気持ちになった。一度だって、お会いしたこともなかったのに。

連休の初日に、日本一大きいという梅田のジュンク堂へ出かけて、このムックを見つけた。来た甲斐があったと思った。これは、雑誌扱いだから、うっかりすると、入手しそこねてしまうかもしれないのよね。出会えて、本当によかった。

豪華なラインナップだ。
岸田今日子、筑紫哲也、山田詠美、鶴見俊輔、森毅との対談。
谷川俊太郎と広瀬弦(佐野さんの息子)の対談。
伊藤比呂美、川村康一の追悼文に、工藤直子や沢野ひろし、角田光代、川上弘美、山崎努、西原理恵子までが寄稿している。
引き出しの中から発見された船旅の旅行日記や、初期のエッセイも載せられている。
宝箱みたいだ。

佐野さんのお母様との葛藤を、谷川俊太郎と広瀬弦が、「普通のおばさんでしょ。」と話していた。
「普通の人だよ。それを、無理矢理、悪者に仕立て上げる。」と。
ああ、そうなのだ、と、良いも悪いもなく、私は思った。事程左様に、親子関係は難しい。これほど近しい人にも、そう見える。というより、実際に、そうなのかもしれない。だとしても、乗り越えられない何ものかがあるからこそ、それに縛られ、苦しみ、葛藤し、そして抜け出す時が、彼女にはあった。

問題を抱えていないといられない人、ともまた、彼らは佐野さんを評していた。そうなのかもしれない。佐野さんは、そうやって、どこかに問題を抱え、怒ったり、苦しんだり、当たったりして生きていたんだろう。わがままで、意地悪で、おこりんぼでもあったのだろう。
だとしても、彼女の正直さが、自分の足で立ち、自分の目で物を見据える強さが、余計なものにとらわれない自由な心が、私は好きだった。憧れだった。

私の大好きな「あのひの音だよ、おばあちゃん」を元にした「自転車ブタがやって来て・・」という脚本が、演劇集団円で上演されていたと、この本で、初めて知った。そうだったのか。観たかったなあ。

佐野さんは100万回だって生き返るだろう、と彼女を知る人はみんな、言う。
佐野さん、生き返ってね。
どこかで、また、違う人生をきっと生きるのね。
いつか、あなたに、私も会いたい。

2011/5/11