うずまき猫のみつけかた

2021年7月24日

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「うずまき猫のみつけかた」村上春樹 新潮社

 

私は村上春樹の良い読者ではない。好きなのは主にエッセイであって、小説は、なんというか、ちゃんとついていけないのだ。この人、エッセイならこんなに面白いのになあ・・・とハルキストからぶん殴られそうな意見をいつも持ってしまう。
 
で、この本ももちろんエッセイである。それも、1994年から1995年にかけて主にマサチューセッツ州ケンブリッジで書かれたものを集めてある。健康的で、穏やかで、ああ、こんな時もあったなあ、と読みながら思ってしまう。阪神大震災の爪あとはまだ深く、村上さんもそれについては心を痛めているのだけれど、まだ津波も原発も問題なかったのだなあ、とつい思ってしまう。
 
この本によると、村上さんは夜十時に寝て朝は六時に起き、毎日ランニングして、締め切りに遅れたことは一度もない、という生活をしている。
 
「でもね、作家があまり健康的になってしまうと、病的な暗闇(いわゆるオブセッション)がからっと消えてしまって、文学というものが成立しないのではありませんか」と指摘する人も中にはいる。しかし僕に言わせていただければ、「それくらいで簡単に消えてしまうような暗闇なら、そんなものそもそも最初から文学なんかになりませんよ」ということになる。
                 (引用は「うずまき猫のみつけかた」より)
 
そうだ、そうだよなあ、と私は深く頷いてしまう。女房を思い切りぶん殴って金をせしめて本を買ったり、出版社に大借金をして競馬に夢中になっているような作家に対して、私はどうしても「けっ」という思いを持たずにはいられない。その人の書くものがどんなに素晴らしくてもね。まあ、私の如きおばちゃんが「けっ」と思ったからといって、それが何だ、なのはもちろん知っているけどさ。
 
そういう意味で、じつに健康的な村上さんのエッセイは、私の精神に心地よい。ああ、そんな時代もあったよなあ、とひたすらしみじみしながら読みきった本だった。

2013/11/25