おにぎり通信

おにぎり通信

2021年7月24日

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「おにぎり通信」1 2 二ノ宮知子 集英社

 

「平成よっぱらい研究所」の、というよりは「のだめカンタービレ」の、といったほうが通りはいいであろう二ノ宮知子の育児マンガ。あの呑んだくれてた二宮さんがいつの間にか二人も子どもを生んでいたのだ!!
 
高2の娘が爆笑しながら読んでいたので、どんなに面白いだろうかと思って読んだのだが、ごめん、普通であった。逆に、何がそんなに面白いのかと彼女に尋ねたら、「とにかく子どもたちが可愛くて面白すぎ」なんだそうだ。異様に食べ物に執着があって、どんな玩具も食べ物に見立てちゃう長男とか、ふんぞり返って離乳食を食べる態度がでかすぎて「社長」と呼ばれている次男とか。
 
たしかに、可愛い。面白い。でも、こんなの日常だぜ?子どもを育ててると、毎日がこんなもんだぜ?子どもって予想がつかない動きをするし、大人とはまったく違った価値観で日々を送ってるから、新鮮で、面白くて、でも、迷惑で、ものすごく疲れる。
 
こんな日常、あったよなー、と中年のおばさんは遠い目をしながら読むだけだ。これから育児をする人、まるっきり育児に関わりのない人にはインパクトが強いんだろうけれど、現実の子どもはもっとすごいからね・・・・。育児中の人は、大いに共感を持って読むだろうけれど、もう終わっちゃって、うっすら記憶だけが残ってる私のような立場は一番フレッシュじゃない読者なんだろうな。孫ができたら変わるんだろうか。ってか、いつそんな日が来るんだ???
 
そういえば、先日、「マツコ有吉の怒り新党」でママ名刺の話題が出て、「遊びでしょ?名刺ゴッコしてるだけでしょ?」「結局暇なんだろうね」と片付けられていた。この番組は好きでよく見ているのだが、なんだかなあ、と思っていると、隣で夫が「子育てしたことないからな」と一言。そうなんだよ、君、わかってるねー、と思ってしまった。
 
子ども育てるなんて暇で簡単な事だと思ってるんだろう。私だってそう思ってたからね。でも、実際には小さな子供がいると、自分の体も、時間も、自分のものではなくなる。一瞬たりとも本来の自由というものは失われる。ちょっと家を出てそこのコンビニに行くにしても、髪が伸びたから切ってこようかな、と思っても、訳の分からない小さな生物を抱えてしか行動ができない身には、大変な労力が伴ってしまう。食べたいときに食べられない、寝たいときに眠れない、風呂ものんびり入れない、どころかトイレもままならない。
 
子育てはこうであらねばならぬ、母とはこうあるべきだ、子どもはこう育つのが正常である、という情報を押し付けられ、外出もままならず、たまに出ると世間に迷惑をかけないことを一番に考えねばならず、母親は孤独に追い詰められていく。未就園児しかいない母親にとって、同じような境遇の人間との出会いは、愚痴をこぼし、相談をし、ともに助け合うための切実な意味合いがある。そのために、何かできることはないかと絞り出した知恵の一つが、ママ名刺なのだろう。
 
知らない人と関わり合うのがあんまり得意ではない私はママ名刺などは作らなかった。そんな時代でもなかったしね。が、たまたま、社宅住まいで同じような境遇の人が何人もいたことにはとても助けられた。公園でときどき出会って、だんだんに仲良くなった人たちにも、会話を交わす中でどれだけ孤独から救ってもらえたかわからない。
 
ママ友トラブルや公園いじめ等ばかりが注目を浴びがちだが、小さな子どもをもつ母親同士の連携は、実はとても大きな意味を持つし、大事なことだと私は思う。それを安易に揶揄されても、何も知らないんだな、としか思えない。
 
「おにぎり通信」を読んで新鮮に笑うのは良いことだ。育児とはどういうものかの一端を知ることができる。笑いに包まれた苦悩も、だからこそ、それを乗り越えた喜びも垣間見ることができる。子どもの存在によって生活そのものが揺さぶられること、すべてが変わること、それがどんなに大変であるかということ。そして、同時に新鮮で素晴らしく面白いということ。密室の中で、母親だけが独り占めしていた(させられていた)事実を、こうやって多くの人の前にさらけだすことはきっと大きな意味がある。と、私は思う。
 
別にそんな御大層なことじゃないんだろうけどさ。二ノ宮さん、POMさん(旦那)、がんばれ。その内、子どもたちに全然構ってもらえない日が来るからさ。

2015/7/31