くう・ねる・のぐそ

くう・ねる・のぐそ

2021年7月24日

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「くう・ねる・のぐそ自然に「愛」のお返しを
糞土師 伊沢正名  山と渓谷社

数カ月前に夫が購入して、ぐふぐふ言いながら読んでいた本。早く読みたかったのだけど、期限の迫っている図書館本が山積みになって、購入本の順番はあとへあとへと回される。やっと、出番と相成りました。

あ、この日記は、食事中、あるいはこれからすぐに食事をしようと思う方は読まないほうがいい。それから、とても潔癖であると自覚のある方も、やめてね。

著者は、こども向けのキノコの本を何冊も出しているキノコ写真家。でも、本当は、野糞を推奨する「糞土師」なのだ。

人間不信から高校を中退した著者は、自然保護運動家として活動を始める傍ら、キノコ写真家の道を進む。1974年に野糞を始め、以来、出来る限りトイレを使わず野糞をすることに情熱を注ぎ、2003年には戦日間続けて野糞をする千日行を達成。以来、二千日行を経て、野糞一万回に至る。

 ヒトは動物として、栄養を他の生き物に依存して生きるしかない。いわば寄生虫的な生物だと卑下していた。だからせめてもの罪滅ぼしに、食べた命の残りであるウンコを、全部自然に返そうと野糞に励んできたのだ。
ところが、この野糞後の掘り返し調査では、多くの動植物や菌類が私のウンコに群がり、たいへんな饗宴を繰り広げている現場を目撃した。ウンコは分解してもらうお荷物などではなく、とんでもないご馳走だった。ウンコをきちんと土に還しさえすれば、もうそれだけで生きている責任を果たせそうな気がしてきた。

(「くう・ねる・のぐそ」伊沢正名 より引用)

実際に東南アジアを旅した人が、人間のウンコをそのまま家畜の餌としている地域の話をよく紀行文に書いている。そういえば、植村直己も、犬ぞりをひかせる犬たちが自分の排泄物をたちまち食べてしまう話を書いていたはずだ。人間のウンコが様々な動植物の栄養源となることは、確かなことではある。

著者は、野糞こそ生きる道とばかりに、日本中どこへ行っても、野糞をするための場所を探し、そのために数時間歩くことも厭わずに生きている。また、おしりを拭く紙についても疑問をいだき、様々な植物の葉や水を使って始末することを発見していく。

それにしても、漆の葉を試したのには驚いた。緑の漆は危険だが、秋になって赤く染まった漆は極上の拭き心地なのだそうだ。

彼は、海外旅行に際しても、現地で適切なお尻拭き用の葉を調達できないことを恐れ、柿の葉などを干したものを荷物に入れて持ち運ぶという。しかし、もし、それがなにか怪しげな葉っぱと疑われた場合、いったいどうするんだ。お尻拭き用です、といって、だれが信用する?その葉にアルカロイド類が含まれているのでは無いか、と徹底的に調べ上げられるに決まっているではないか。

避難所などでもっとも問題になるのは排泄物の処理の問題である。しかし、この人にかかれば、野糞こそが最高の解決策になる。実際に、日本中の人間が野糞をするようになったら、という仮定で、この本には様々な提案がなされている。そして、トイレのない家を、夢の理想の生活として語っている・・・。

表紙をめくってすぐの様々なキノコの写真の美しさには感動する。それから、この本には、なんと閉じこみの写真があるのだ。エロ本でもないのにね。それは、立ち読みの読者が嫌な思いをしないようにという配慮だ。野糞が土に還るまでの記録的な写真が掲載されている。見たくない人は、とじ込みを切らなければいいのだ。

世間的にいえば、明らかに変人の枠に入るだろうこの人が、私は好きだ。というのも、私も変人だからなのだろうけれど。いや、野糞をする勇気が私にどれだけあるかと問われれば絶句するしかないが。

そういえば、お腹の弱い夫が、学生時代、山に行くと立派なウンコが出る、と言っていたっけ。野糞には健康上の効果もあるのかもしれない。もちろん、そのまま放置してはダメよ。しっかりと土に埋めてあげましょう。

2012/1/12