こどもサピエンス史

こどもサピエンス史

147 ベングト=エリック・エングホルム  NHK出版

私たちの祖先が木にのぼり、草原を四つん這いでうろうろしていた頃から、ロボットなんかを作るようになるまで、長い時間がかかった。その途中にいったいどんなことがあったのか?を説き起こす子供向けの人間の歴史の話。

地球の歴史を一年間にたとえて、地球誕生の瞬間が1月1日の午前0時だとすると、我々ホモサピエンスが出てきたのはおおみそかの23時26分。その15分後に、北東アフリカからアラビア半島を渡って世界中に散らばっていったことになる。…ということは、ずいぶん前から知っていたけれど、改めて読むと、しみじみ驚く。人類の歴史なんてほんのわずかだ。その間に、なんとたくさんのことが起きたか。

人類が生まれて以来の進化、発達、想像力、原語、芸術、宗教、科学、経済、農耕、哲学、国家、政治・・・。様々な分野についての歴史が解き明かされる。たくさんの挿絵と、わかりやすい文章で説明されるので、たぶん小学校高学年以上なら十分に理解できるだろう。そして、大人でも楽しめる。

もうすぐ90歳の母が、歴史を学ぶべき年齢がちょうど戦争直後だったため、学校で歴史を学ばずに来てしまった、だから何も知らないと昔から嘆いていた。父亡き後の独居の寂しさに、何か楽しみが欲しいとも言っていたので、ものすごくわかりやすい小学生用の歴史まんがシリーズを、毎月一冊ずつプレゼントしてきた。けっこう楽しみながら少しずつ読み進めて、今は江戸中期まで進んでいる。おかげで何となくざっくりと日本の歴史がわかってきた、という。彼女にこの本を渡したら、きっと世界史的な視野も開けるのではないか、それもとても分かりやすく。と思ったのだが。

だが、大きな障壁がある。この本はスウェーデン人の作である。その立場から書いたからなのだろうけれど、歴史上、キリスト教が果たした役割について率直に書かれている。キリスト教は宗教的に人々の心を支えただけではない。キリスト教徒以外は人間として認めず、異教徒を攻め殺したり、布教を名目に世界中を植民地化していったり。その功罪がきっちり書かれている。敬虔でシンプルなクリスチャンである母は、おそらくこのあたりで「この本はキリスト教を悪く言っている。こんな本をなぜ読む必要があるだろう。」と強く拒否反応を示すと思われる。まあ、私はそういう家庭で育ったのだ。

逆に言うと、この本は、キリスト教以外の宗教の果たした具体的な役割についてはあまり触れていないし、中近東からアジア地域に関してもあまり詳しくない。おおまかに全体的な歴史を追うという趣旨で書かれたのだろうけれど、取りこぼしも感じる。とりわけ近年の世界情勢を考える時にイスラム教の果たした役割は見落とすわけにはいかないからね。だが、まあ、それはこの本に求めずともいいことなのかもしれんが。

読書は個人的な体験なので、ついでにこの本自体から少し離れた話を書く。例えばこの本のようにキリスト教に批判的な本を読むとき、子ども時代の私は「こんな本を読んでいることが知れたら、両親は怒るだろうか」とどこかで思い、やや怯えていた。先日、夫と日本の同調圧力についての話をした時、子ども時代の読書の話になった。私は、みんなが同じ方向を向いているときに、たった一人でも別の方向を向くことの大切さや勇気といったものを、おそらく児童文学者の山中恒から学んだという話をした。みんなが我慢しているのに、なぜあなただけが我慢できないのか、という誰かの非難を耳にするたびに、山中恒を思い出した。そして、山中恒を読むたびに「なぜこんな本を大人は平気で図書館なんかに置いているのだろう。こんな本を読んでいる私を悪い子だと決めつけたりしないだろうか。」とどこかで不安になったことを思い出した。

読書は、親や教師とは違うことを教えてくれる。そして、何が正しいか、自分で考えることを覚えさせる。与えられた価値観から離れて私自身を立ち上げることは、時として怯えや不安を伴うことがある。でも、それを超えて、私は私でありたいと願った、それもごく自然にそう思ったのだ。と改めて子ども時代を振り返る。だが、今になってもなお、この本を母に渡すのは、私にとっては難しいことであり続ける。母には母の価値観があり、それを子である私は容易に突き崩せるものではない。

そんなことまでつらつらと考えるような本であった。でも、これは面白いよ。子どもにも、大人にも、おすすめ。